1955年、カンプラードは初めての大きな挫折を味わう。イケアの業績は順調、顧客は続々と工場に押し寄せ、注文も増加していた。ところが、業績があまりにも突出していた。カンプラードとまともに勝負できない競争相手は、姑息な手段に訴える。たとえば、イケアの取引先の企業が突然、同社に製品を供給するなという圧力を受けるようになった。また、イケアはなぜか家具見本市から閉め出された。あるときなど、カンプラードは見本市会場に入るのに、友人のボルボの後部でカーペットの下に身を潜めなければならなかった。

 製品供給を受けるのが困難になって、カンプラードは自社で家具の設計と製造を手がけることにした。業界の展示会から閉め出されたことに対抗して、自前の展示センターを確保した。競争相手がどんな手を打ってきても、カンプラードは常にそれらを打ち負かした。

 イケアは次々とマイルストーンを打ち立てていった。フラットパックの梱包が1956年に導入され、顧客は買った家具を簡単に自分のクルマに積み込むことができるようになった。1958年には、アルムートに6700平方メートルの広さを誇る店舗が完成、100人目の従業員を採用した。セルフサービスが導入されたのは1965年だった。1970年代になるころには、イケアはヨーロッパ全土に店舗を展開する国際企業に発展している。

 1999年、同社は30ヵ国に150の店舗を持ち、従業員数は4万4000人を記録した。売上高は70億ドルを超え、カタログの発行部数は1億部にもなっていた。

 現在、カンプラードは日々の経営の仕事から公式には引退している。とはいっても、多くの人々は依然として同社の象徴的指導者だと考えている。莫大な資産を手にしたにもかかわらず─税金や法律上の理由でスイスに住んでいる─カンプラードは、その昔マッチ売りから身を起こそうとした人物と、根本のところでは変わるところがないようだ。

「私の仕事は大衆に奉仕することだ」

「問題は、その大衆が何を求めているのかをどのようにして見きわめるのか、それにどう応えるのが最良なのか、ということだ。私の答えは、常に普通の人たちのそばにいろ、ということだ。というのも、もともと私自身がその普通の人だからだ」

と言っている。

 カンプラードがコストにうるさいことは有名だ。かつて自分のことを「スウェーデンのけちん坊」と表現した。飛行機はエコノミークラス、食事は質素、服装はカジュアル、そして住まいの近くの市場では値切ることで知られている。