磯田一郎・住友銀行会長×堤義明・西武鉄道グループ社長
 住友銀行(現三井住友銀行)の「天皇」と称された磯田一郎会長(1913年1月12日~93年12月3日) と、西武鉄道グループのオーナー社長、堤義明(1934年5月29日~)による対談で、掲載は84年1月7日号である。

 両者とも絶好調の時期、「経営の強さ、人の強さ」をテーマに語り合ってもらっている。

 磯田は、経営危機に陥った総合商社の安宅産業や、東洋工業(現マツダ)、アサヒビールなどの企業再建で手腕を発揮し、77年から住友銀行頭取、83年からは会長を務めた。語り草となっている「向こう傷を恐れるな」という大号令の下、収益を伸ばし、頭取就任から3年で住友銀行を都市銀行で収益トップに躍進させた。

 ところが、会長時代の90年に「イトマン事件」が明るみに出る。大阪の中堅商社イトマンが反社会的勢力に取り込まれ、メインバンクである住友銀行からの不正融資や怪しい絵画取引などで巨額の資金が闇社会に流れたという経済事件だ。不正には磯田の娘も絡んでおり、同氏は引責辞任を余儀なくされた。住友銀行にとってもダメージは大きく、まさにバブルとその崩壊を象徴する事件だった。

 一方、堤は、西武グループを一代で築き上げた父、康次郎から帝王学を授かり、64年に後継トップに就任。鉄道事業からホテル事業、ゴルフ場やスキー場などのレジャー産業や観光開発にプロ野球まで、事業を拡大していった。

 しかし、バブル崩壊後の地価下落で所有する不動産価値は大きく毀損し、消費者のライフスタイルの変化に伴いレジャー関連事業も苦戦が始まった。

 そして2004年、西武鉄道が総会屋に利益供与をしていたことが発覚、有価証券報告書への虚偽記載も明らかになり、堤はグループ会社の全役職から降りることになる。さらに翌05年には西武鉄道株式に関する証券取引法違反の疑いで逮捕され、有罪が確定した。

 やがて訪れる栄華の終わりなど、想像もしていない時期の皮肉な対談である。
(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

オーナー経営者は
一生辞められない

1984年1月7日号より 拡大画像表示

――安定成長時代に入り、個々の企業の力が非常に厳しく問われてきました。1984年は、さらに厳しくなってきているだろうと思いますが。

磯田 業種間の格差は非常に厳しくなってきたんですが、同業の中でも企業格差が非常に出てきた。例えば総合商社で、あれは九つあるんですが、10年前には1位と9位との利益が10:1だったんです。ところがそれが今60:1ぐらいなんです。格差が6倍ぐらい広がってきた。それから自動車が同じように、10年間で4倍ぐらい広がっているんですね。これはやっぱり経営力の違いが本当に如実に出てきたんじゃないかと思いますね。

 おっしゃる通りだと思いますね。私が磯田さんに伺いたいのはどうやっていい会社と悪い会社を見分けるのか。面倒を見られた会社は全部良くなっているんですよ(笑)。

磯田 話が脱線するようですけど、私、堤さんと最近、非常にお親しく願っておりますが、それでもあまり堤さんを私は存じ上げなかったものですから、実は『堤義明の十年後発想』を昨晩読んだんです(笑)。2時間ぐらいかかったな。それで大変面白かったし、参考になったし、かつ私どもに割合に共鳴するところがあったんですね。

 それはね、私は堤さんと逆で、まったくなんの帝王学も教えられたこともなく、ある日、突然頭取になったわけですね。なってみて、これはやっぱりナンバー2以下とまったく質的に違うんだ、大変なことだということにうかつにもそのときやっと気が付いたわけです。

 それと同時に、そのときに、いや、これは自分は大変だが、われわれは要するにサラリーマンの成り上がりですから、嫌になったら辞めてもいいし、おのずから時が来たら辞められる。ところがオーナー経営者は一生辞められないのだと。このオーナー経営者の苦労、苦悩は並大抵ではないなということをそのとき思ったわけです。

 それで私は、さて、どうしようかと思ったときに基本的に考えたのは、よし、それでは、自分はオーナー経営者のつもりで頭取の間はやり通そう、こういうことを考えたんです。日常の業務は組織で動くに決まっていますから、それはできるだけそれぞれの部署のトップの人に権限委譲してきたけれども、本当の企画を経営に組み入れるとか、大きな問題は、誰が企画しようが、経営会議で決めようが、自分がもう全部決定するんだということに決めたわけですね。どうせ何年やるか分かりませんので、開き直りのつもりでやったわけです。

 いまの堤さんのご質問に対する直接の答えではありませんが、基本はそういうことでした。

マツダの再建は
うまくいく自信はなかった

 しかしあの東洋工業(現マツダ)の場合ですね。あのときにもし銀行で全部見るのは大変だ、どっかが、例えば私のところでやるならば銀行で応援するけど、資本参加しないかという話があったとしたら、僕はお断りしましたね。どこへ持っていったって断ったと思うんですよ。

磯田 そうなんですよ。

 今だったら、あのとき頼んでも参加させてもらっておいたらよかったなと思いますよね(笑)。

磯田 マツダの場合は広島でもダントツの企業なんです。それをつぶしますと、そこに下請けとか関連企業がありますので、それがみんな当然つぶれる。だからそれはいかんなと思ったんです。もっともそんなことを一つの銀行でやるというのは本当はおかしいんですね。イギリスだってブリティッシュ・レイランドはイギリスの国が見ています。フランスのルノーも国で見ています。それが当然なんです。

 それをうち1行でやると決めちゃったんですよね。そのへんからちょっと私、狂っちゃったわけですね、普通の銀行家としては(笑)。実は、あのマツダはうまくいく自信はなかったんですよ。

 しかしそれで得た信用たるや、大変なもんですね。

磯田 はい、今になれば、マツダはうちでいちばんいいお得意さんですよ。それは運も良かったですけれどもね。とにかく、再建に当たっては、本当にいい人を出して、その代わり、帰ってくれば厚遇するようにしました。

 優秀な人材を出されて、その人たちにはまた戻ってくるようにしておいたわけですね。

磯田 トップでやるときはもうやりっ放しなんです。トップというのは責任がありますから、帰るつもりであったらいいかげんなことをやるから、おまえは帰れないよ、と。しかし副社長以下でやるときは、大体2、3年で帰すということでね。

 しかしやっぱり堤さんが言われていたように、私、いつも言うんですが、後ろ向きのことはどんなに難しいといってもルールがある。本当に難しいのは前向きのことですね。

 しかし金融機関がそういうふうにやって育ててきたから今日があるんで、私のところなんかも昔、止められたら倒産というのはなんべんかあったんですよ。もう昔、住友さんに助けられて、そのときによく融資を続けてもらったと思いますね。

磯田 いや、いや、そんなことはありません。