名医やトップドクターと呼ばれる医師、ゴッドハンド(神の手)を持つといわれる医師、患者から厚い信頼を寄せられる医師、その道を究めようとする医師を、医療ジャーナリストの木原洋美が取材し、仕事ぶりや仕事哲学などを伝える。今回は第19回。眼球に異常がなくとも、脳神経や精神の問題で、見えにくくなったり、見えなくなったりしている「目の病気」を治療する若倉雅登医師(井上眼科病院名誉院長)を紹介する。(医療ジャーナリスト 木原洋美)
見るとは目と脳の共同作業
「眼球医」には分からない
「多くの人は『ものは目で見ている』と思い、見えにくいことがあると『目(眼球)のどこかが悪い』と考えがちですが、それは間違い」と若倉雅登先生(井上眼科病院名誉院長)は断言する。
眼球は、外界からの情報を取り込む入り口であり、見るという作業は結局、脳によって見るための準備がされ、両目から脳へ伝達された信号は意味あるものとして情報処理されることで完結するのだという。
言われてみれば確かに。生まれたばかりの赤ちゃんは、目の構造は完璧でも、「見えていない」。生後1~2ヵ月たつとようやく光に対して反応したり、動くものを目で追ったりするようになる。
「それは、目が発達したのではなく、脳が発達してきたから起きる反応です。逆に加齢等によって脳のコンピューターの性能が衰えれば、認識を誤ったり意味が分からなくなったりする事態も起きてくる。つまり『見る』とは目と脳の共同作業で、どちらかに不都合が生じれば快適な視覚は得られないことになるのです」