社会を変えたい、自分にしかできないことがある――そんな情熱や使命感を抱いて活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきたのか。今回は、中学生や高校生向けにプログラミングや、ITが学べるスクールやキャンプなどの教育サービスを展開するライフイズテック(Life is Tech!)の水野雄介さんです。(聞き手/ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

自分ならもっといい先生になれる

水野雄介
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──出身は北海道で、卒業した小学校は東京なんですね。

 親が転勤族だったんです。ヤマハで営業をしていました。札幌で生まれて浜松と仙台へ行って、小学校も最初は横浜で、その後北海道へ戻り、4年生から東京です。

 親は転校ばかりで申し訳なかったと言いますが、いい経験だったと思います。最近、転校を経験している人の方が起業家になる割合が高いという論文を読みました。確かに、新しい環境や文化を幾つも経験することで多様性を受容するようになるし、毎度毎度、新しい友達と仲良くならなければならないので、アントレプレナーシップは育まれるかもしれません。

 ただ、小3で北海道へ戻ったとき、初日の給食の時間にクラスのリーダーの子とけんかして、それで1年間いじめられました。といっても陰湿なものではなく、犬をけしかけられて逃げ回るとか、サッカーをするときには弱い方のチームのゴールキーパーをさせられるといったものでしたが。

 そのときの女性教師が見て見ぬふりをする人で、あの1年はきつかったですね。東京へ転勤だと聞いてホッとしたのを覚えています。

──家庭の教育方針は?

 かなり自由に、やりたいことをやらせてくれました。特に父はそうですね。家族で旅行をしたり、キャッチボールやバッティングセンターに付き合ってくれました。

 専業主婦の母は、僕らの予定より自分の予定を優先させたことはないと言っていました。夏休みとなると、日替わりで僕と弟のためのイベントを入れてくれて、確かに充実していました。でも、夏休みの最終日に「楽しかったか」と聞かれて、僕は「早く学校に行きたい」って言ったらしいです。覚えていませんけれど(笑)。

 僕自身は、コミュニケーションは得意な方だし、基本的には輪の中心にいたいタイプでした。友達には、負けず嫌いでよく泣いていたとも言われます。小中高とずっと野球をやっていて、夢は甲子園とプロ野球選手でした。

──中学受験をして神奈川の浅野中学へ進んでいますね。

 中学受験をしたのは、4年生のときに親が「塾へ行くか」と聞いてきたからです。でも、勉強はできたし、子供はできるものを好きになるから、そのまま受験しただけで、どうしてもこの学校がいいとか、なぜ私立に行くのかとか考えたことはなかったです。

 偏差値的に駒場東邦中学も受験したのですが、あそこは野球部がないんですよ。浅野は、ずいぶん昔ですが甲子園に出場したことがあります。僕の頃は神奈川県予選で2、3回戦あたりまででしたが。

──その後、教師になりたいと思うようになったそうですね。

 高校生の頃、身近な大人、身近な職業として教師を見る中で、自分ならもっといい先生になれる、いい学校をつくれると思ったのがきっかけです。