オンラインサロンがもてはやされ、大手メディアもサブスクリプションの採用を始めるなど、現在、メディアの世界には大きな変化の波が押し寄せています。ですが、新しいビジネスモデルがもてはやされる一方で、読者をつなぎとめておくための日々の運用に疲弊しているメディアも多いのではないでしょうか。一方通行の情報発信メディアから、読者コミュニティとともに成長する双方向型のメディアのあり方を「コミュニティメディア」と名付け、取材していく本連載。『ローカルメディアのつくりかた』などで知られる編集者の影山裕樹さんがレポートします。今回は、117年続く老舗出版社、婦人之友社を取り上げます。独自の「家計簿」や「座談会」を発案したとされ、学校法人「自由学園」とも縁のある同社を支える「コミュニティ」のちからとは。
現存する雑誌で最大規模の読者コミュニティ「全国友の会」
『婦人之友』と言えば、1903年に創刊し、117年続く老舗中の老舗雑誌。定期購読の割合が約6割にも上るこの『婦人之友』以外にも、50年続く『明日の友』、11年目に突入した『かぞくのじかん』などの定期刊行物を発行している。また、発刊から116年改定されつづけているベストセラー『家計簿』(羽仁もと子案)をはじめ、書籍も多数発行しており、同社の収益のほとんどが出版事業から上がっている。
一方、特徴的なのが、雑誌の読者コミュニティから生まれた「友の会」が日本全国に174団体も存在するところ(2020年1月現在。海外にも10団体ある)。海外を含めれば、会員は実に1万7000人にのぼる。さらには、これも創業者である羽仁吉一(よしかず)・もと子夫妻が立ち上げた、幼稚園から大学まで一貫教育を謳う自由学園とも深い関係にある。この、出版社、友の会、そして学校という3つの独立した団体がゆるやかに連携するところが、「婦人之友」が他の出版社やメディア企業とは一線を画す“コミュニティメディア”であると言える点だ。
そもそも、定期購読が多い媒体は得てして読者との結びつきが強い。特集によって購入したりしなかったりといったライトな読者よりも、毎月欠かさず読むコアな読者が多いため、読者の“コミュニティ化”が促進されやすいからだ。婦人之友社にとってのそれが、雑誌から生まれたファンコミュニティとしては、おそらく最も長命で、最も大きな規模だと言っていい「全国友の会」の存在だ。1920年代にはすでに各地で自然発生的に「婦人之友読者組合」が生まれ、1930年に正式に「全国友の会」が成立している。『婦人之友』編集長の羽仁曜子さんはこう語る。
「誌上で創業者の羽仁もと子が各家庭の読者に呼びかけるんですね。生活の合理化は、人間生活の基礎工事ですよ、と。それを読者が自分の周りで実践しはじめるわけです。料理とか、衣服とか、それを小さなグループで実践して、編集部に提案していたんです。雑誌が一方的に啓蒙するのではなく、まさにともに考え合う姿勢が自然とあったんだと思います」(羽仁編集長)
このように読者からの声を紹介するページは現在も特集記事や「みんなの悩み研究室」などに残っている。かつては読者が考案した割烹着や料理台が製品化され、それがグラフィカルなイラストで誌面を飾ることもあった。生活の現場から生まれる問いや思想を共有し、連帯していくことこそが『婦人之友』の雑誌としてのあり方だった。
ところで、そんな雑誌に共感し結成され、現在では1万7000人もの会員を海外にも抱えるという「友の会」とは、一体どのような組織なのだろう。婦人之友社代表取締役社長の入谷伸夫さんが次のように教えてくれた。
「全国友の会は任意団体です。それを、公益財団法人 全国友の会振興財団が助成しています。こちらは主に各地の友の会が所有する土地や建物の管理をしたりしています」(入谷社長)
これだけ長い歴史があれば、地元の名士から土地を譲り受けたこともあるそう。そういった土地や建物を改修して「友の家」とすることで、活動基盤を整備していく。今ではほとんどの友の会が拠点を持っている、というからすごい。よくある地域活動グループとはわけが違う。各地の友の会は日々、それぞれの友の家などで生活講習やセール、交流イベントを頻繁に開いている。さらに、池袋にある婦人之友社の隣には、全国友の会が所有する立派な本部がある。年に一度、全国から友の会の代表が集まり、1000人規模の大会が都内で開かれているという。
それにしても、このようにしっかりとした財政基盤と各地の活動基盤を備えており、100年近く経てもなお、活発に交流を続ける友の会の原動力は一体、どこから生まれてくるのだろうか。