コロナ禍は、われわれに一体何を突き付けているのか――。特集『賢人100人に聞く!日本の未来』(全55回)の#48では、感染対策を超えて、人や社会にもたらしたより深い“意味”を知るべく、日本を代表する社会学者、大澤真幸氏に話を聞いた。(ダイヤモンド編集部 宮原啓彰)
危機はコロナだけではない
本質を見抜く考察が必要だ
――まず、新型コロナウイルスの感染拡大について、哲学、思想の領域から考える意義を教えてください。
コロナ禍について、なぜわざわざ哲学的な言葉によって、この災害を捉え直す必要があるのかというと、いま起きている危機の意味を可能な限り俯瞰し、大きく捉えるべきだと考えるからです。
コロナ禍が、人間にとって、社会にとって、一体どういう意味があるのか。私たちの価値観や社会の仕組み、そして政治といった、全体をバージョンアップするため、哲学的な考察が求められていると思います。
もちろん、「マスクを着けましょう」「ソーシャルディスタンスを取りましょう」といった、新しい生活様式を個別に具体的に考えることも重要です。ですが、今後起き得る危機は、なにも新型コロナだけではありません。未来のあらゆる危機に対して、汎用的な対応ができるようにするために、実用的な事柄だけではなく、それを超えたことを思索し、概念にしておくことが大切です。
――例えば、どのような問題を掘り下げる必要がありますか?
分かりやすいテーマとして、今回初めて出された「緊急事態宣言」について考えてみましょう。
緊急事態宣言というものを、私たちは新型コロナという個別の問題として片付けがちです。ですが、先ほど述べたように、将来の緊急事態は、新型コロナだけではありません。通常の秩序、憲法の秩序では対処できないような想定外の事態が、また襲ってきたときにどうすべきか。それを考える上で、非常に重要な問題を含んでいます。
まず、このコロナ禍で、緊急事態宣言やロックダウンの早期実施を求めて、安倍政権を批判したのは、主にリベラルや左翼の人々でした。しかし、コロナ禍が起きる前は、彼らリベラルは、緊急事態における国家権力の発動に一貫して反対してきたのです。
戦後の日本は、緊急事態に直面したときにどうすべきかという議論をずっと避けてきました。その理由の一つは、戦後民主主義の精神を引き継ぐリベラルによる反対論がありました。戦前に対する反省から、緊急事態下で発動される国家権力の乱用を警戒したからです。
その前提として押さえておくべきことは、緊急事態下における国家権力である「緊急権」は、明らかな憲法違反であるという点です。それ故、リベラルは緊急権に反対してきたのです。
――では、4月の緊急事態宣言も違憲になると?
もちろん、今回の緊急事態宣言は、「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づいており、合法だと思うでしょう。しかし、この法律そのものが憲法に違反しているといえます。なぜなら、そもそも憲法は、国民ではなく政府を縛るものだからです。憲法により、政府は国民の人権を守ることを、国民から命じられているのです。
しかし、緊急権は、政府による国民の基本的人権の制限や否定を許容するものです。それ故、いくら特措法に基づこうが、緊急事態の下で発動される国家権力である緊急権は、どうしても憲法違反にならざるを得ないのです。
――それでは緊急権の発動自体があってはならない……。
いいえ。ここからが重要なのですが、憲法違反だから緊急権は駄目だということを言うつもりはありません。むしろ、逆です。