アナウンサーの仕事に迷って、32歳でロースクールに入学。退路を断って司法試験に挑戦し、弁護士になった。決まりきった人生なんて面白くないという菊間千乃さんは、不透明な社会をむしろチャンスと捉える。(ダイヤモンド・セレクト「息子・娘を入れたい会社2021」編集部)

*本稿は、現在発売中の紙媒体(雑誌)「息子・娘を入れたい会社2021」の「Special Interview あの人が語る新しい時代の生き方・働き方」を転載したものです。

菊間千乃氏からコロナ下の就活生の親へ、不透明な時代はむしろチャンス菊間千乃 Yukino KIKUMA1972年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。95年にアナウンサーとしてフジテレビ入社。「めざましテレビ」の中継中に転落事故で腰椎圧迫骨折の重症を負うが、リハビリを経て復帰。2005年からテレビの仕事の傍ら、大宮法科大学院大学(夜間)に通い始める。07年にフジテレビ退社、背水の陣で新司法試験にチャレンジ。2度目の挑戦で合格し、12年1月より弁護士法人松尾綜合法律事務所に所属。

「そもそも親が子どもの就職に口出しするな、というのが私の考えです。アナウンサーや弁護士になるときも、親には相談せず全部自分で決めました。弁護士になって周りを見ると、弁護士を楽しそうにやっていない人って、学業が優秀で、するっと司法試験に受かっていたりする人。親に勧められるがままに弁護士になった人が多い印象です。自分の人生なんですから、自分で決めたほうが『生きがい』があると思います」

 小さい頃からフジテレビのアナウンサーになると決めていた。父親が高校のバレーボール強豪校の監督で、取材に来るアナウンサーの姿に憧れたからだ。大学卒業後、1995年に難関を突破してフジテレビに入社。仕事は楽しかったが、やがて疑問が芽生え始めた。

「アナウンサーの仕事に物足りなさを感じ始めたんです。事件が起こって記者の方が取材してきた原稿を読む。その場でもっともらしいことを言っても、何年後かに同じような事件が再び起こる。伝えっぱなしで、世の中は変わらない。何か自分にできることはないのかと」

 そのときに出会ったのが、番組でゲストに来た弁護士だった。ちょうど司法制度改革で法科大学院が誕生した頃である。その弁護士に勧められて、社会人が多く通う夜間のロースクールに通い始めた。だが、仕事の合間を縫っての受験勉強は過酷で、両立は無理だと判断する。

「当初、法律の知識を番組に生かそうと考えていたんですが、勉強するうちに法廷に立ちたいという思いが強くなりました。もうひとつのきっかけはオリンピック取材。谷亮子さんや高橋尚子さんの活躍を目の当たりにして“人に拍手をして終わる人生は嫌だ”と思い始めたんです」

 2007年に35歳でフジテレビを退社、いさぎよく退路を断って司法試験に挑むことにした。だが1回目の司法試験は失敗、いきなり崖っぷちに立たされた。