アナウンサーの仕事に迷って、32歳でロースクールに入学。退路を断って司法試験に挑戦し、弁護士になった。決まりきった人生なんて面白くないという菊間千乃さんは、不透明な社会をむしろチャンスと捉える。(ダイヤモンド・セレクト「息子・娘を入れたい会社2021」
*本稿は、現在発売中の紙媒体(雑誌)「息子・娘を入れたい会社2021」の「Special Interview あの人が語る新しい時代の生き方・働き方」を転載したものです。
「そもそも親が子どもの就職に口出しするな、というのが私の考えです。アナウンサーや弁護士になるときも、親には相談せず全部自分で決めました。弁護士になって周りを見ると、弁護士を楽しそうにやっていない人って、学業が優秀で、するっと司法試験に受かっていたりする人。親に勧められるがままに弁護士になった人が多い印象です。自分の人生なんですから、自分で決めたほうが『生きがい』があると思います」
小さい頃からフジテレビのアナウンサーになると決めていた。父親が高校のバレーボール強豪校の監督で、取材に来るアナウンサーの姿に憧れたからだ。大学卒業後、1995年に難関を突破してフジテレビに入社。仕事は楽しかったが、やがて疑問が芽生え始めた。
「アナウンサーの仕事に物足りなさを感じ始めたんです。事件が起こって記者の方が取材してきた原稿を読む。その場でもっともらしいことを言っても、何年後かに同じような事件が再び起こる。伝えっぱなしで、世の中は変わらない。何か自分にできることはないのかと」
そのときに出会ったのが、番組でゲストに来た弁護士だった。ちょうど司法制度改革で法科大学院が誕生した頃である。その弁護士に勧められて、社会人が多く通う夜間のロースクールに通い始めた。だが、仕事の合間を縫っての受験勉強は過酷で、両立は無理だと判断する。
「当初、法律の知識を番組に生かそうと考えていたんですが、勉強するうちに法廷に立ちたいという思いが強くなりました。もうひとつのきっかけはオリンピック取材。谷亮子さんや高橋尚子さんの活躍を目の当たりにして“人に拍手をして終わる人生は嫌だ”と思い始めたんです」
2007年に35歳でフジテレビを退社、いさぎよく退路を断って司法試験に挑むことにした。だが1回目の司法試験は失敗、いきなり崖っぷちに立たされた。