「安保法制」に異を唱えない
平和の党であるはずの公明党

 この訴訟については後に詳述するが、きっかけとなったのは、2014年ごろから大きな話題になった安保法制だ。天野氏に限らず、元学会員や現役学会員たちに問題視する向きも少なくない。

 これは、当時の安倍政権が憲法第9条の解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認して、武力による抑止力を高めるというものだ。

 だが、「池田先生が武力による抑止力や集団的自衛権を否定しているにもかかわらず、公明党が自民党に対して異を唱えずに容認しているのは、池田先生の教えに背いている」と天野氏は主張する。そこで反対運動を開始し、「安保法案の白紙撤回を求めます」というウェブサイトを開設した。

 15年8月には、国会議事堂の前で学会のシンボルである三色旗を掲げて署名活動を行ったところ、テレビの報道番組で取り上げられるなど大きな反響を呼んだ。署名は全国各地から集まり、2カ月弱で実に9177筆にもなったという。

「公明党は目を覚ましてほしい」「今まで応援してくれた友人に申し訳ない」「『公明党がおかしい』と言ったら、信心が足りない、反逆者だと罵倒された」――。

 署名と共に届いた手紙には、こうした学会員たちの生々しい声が記されていた。

 天野氏は公明党の山口那津男代表に署名を手渡すべく、同年9月8日に東京・信濃町の公明党本部に向かった。この日は、1957年に創価学会第2代会長の戸田城聖氏が「原水爆禁止宣言」を行った意義深い日であり、それにちなんだかたちだ。

 だが、署名を持参しても門前払い。4日後にようやく代理の職員に署名を手渡すことができたという。

 天野氏は公明党の党員であり(現在は脱退)、14年春の統一地方選挙ではF(フレンド)取りの活動を行うなど公明党を長らく支援してきたが、「冷たい対応に、これまで信じてきたものが崩れました」と言う。

 不信感を募らせた天野氏は、16年に二つ目のサイト「DAKKAN」を開設。公明党の政策に対して意見を言ったがために孤立してしまった学会員たちが、自分以外にも数多くいることが分かったからだ。

 だが、抗議活動を続けたことで翌17年、学会副支部長職を解任される。

 さらに天野氏は18年9月8日に三つ目のサイト「核兵器のない世界へ」を開設。この年の暮れに学会から「除名する」という通知が届いた。除名の理由は、ホームページやSNSなどで学会執行部の批判を繰り返し、また、学会の除名者らのサイトを紹介したり、同調者に呼び掛けたりしたことだ。除名処分に対し天野氏は抗議したが、19年4月に正式に学会を除名されることになったという。

 それでも天野氏は、三つ目のサイト経由で募った署名約1260筆を抱え、今度は学会の原田稔会長に届けるために同年9月8日、信濃町にある学会本部を訪ねた。だが、学会側は受け取りを拒否。6日目には警察を呼ばれる事態となり、断念。署名を原田会長に渡すことはかなわなかった。

創価学会本部の前で署名を届けようとする天野達志氏
創価学会本部の前で署名を届けようとする天野達志氏