創立者の池田大作氏と“会える”のが売りの創価高校と創価大学。だが、その池田氏が姿を見せなくなって久しい今、学会員の間でも、創価高校や創価大学を敬遠。哲学なき「普通の学校」化が進みつつあるという。特集『創価学会 90年目の9大危機』(全16回)の#7では、失敗した創価教育の実情に迫る。(ダイヤモンド編集部 「創価学会特集取材班」)
入学で父から贈られた言葉は
「池田先生の手駒となれ」
「一日も早く、池田先生の手駒となる人材になれ。父より」――。
創価学会が日蓮正宗から破門された1991年、創価大学に入学した男性が大学構内の「滝山寮」と呼ばれる学寮に住む同級生を訪ねた際のことである。その彼の机には冒頭に記した言葉の筆書きが掲げられていた。それをまじまじと見ていると、「残寮生」と呼ばれる新入寮生を世話する上級生が、後輩である男性にこう語ったという。
「池田先生のことを“創立者”と呼ばせていただける俺たちは常に先生(池田大作氏のこと)の側に立った戦いをしなければならない。他大学と違い、創大とは先生を求め、信心を磨く場だ。それを忘れるな」
当時、創価大学では、学生の約9割が学会員だといわれていた。もっとも、その9割の学会員たちの間には大きな温度差があるようだ。
信心で練られた高潔な人格で周囲から尊敬される者もいれば、やれ新聞啓蒙だ、やれ折伏(しゃくぶく)だと信心を深めるよりも宗教法人、創価学会を発展させる活動にのみ熱心な者、そして信心にも学会活動にも何の興味を見いだせず、ただ「親が学会員だから」という理由で進学してきた信心が皆無の者たちである。あくまでも男性が受けた印象だが、9割を占める学会員学生の中で、これらのグループが、およそ3分の1ずつに分かれていたという。
このように同じ信仰を持ちながらも異なる考え方の学生たちが、ここ創価大学へ集ってきたのは、ひとえに次の一点に集約される。
「池田先生にお会いできるから」――。