前回は、包括的(BOP)ビジネスの性質を概観するとともに、それを取り巻く代表的な4つの批判を挙げた。今回はその批判の一つに反応することを通じて、包括的ビジネスの背景にある経済性と社会性の関わりについて論じる。
フリードマン流の考え
特に今回の論点の核心に触れているのは第4の批判で、「社会問題解決に営利企業が与するといっても、結局本音は利益であり、途上国の現地経済が搾取されるだけでは?そうではないと主張するならば、それは偽善に聞こえる」というものだ。これは開発セクター(国際機関や途上国開発援助に携わるNPOやNGOのこと)からの伝統的批判として分かりやすい。だが、実は企業経営者の責務を株主資本価値の最大化ととらえる新自由主義も、「企業とはあくまで経済的価値を極大化させるためのマシンである」という割り切りにおいて、過去の開発セクターに存在した企業観とぴったり一致する。
新自由主義の中心的存在であるミルトン・フリードマン(1970)[注1]によれば、企業経営者の責務とは、企業の所有者である株主の代理人として、彼らの利益を増進することである。フリードマンは、もしも企業が「企業の社会責任」の名の下に何らかの社会性を帯びた活動に経営資源を投入するならば、「ここにおいて、経営者は誰に何の目的でいくら課税するかを自ら決定し、天命にのみ従って、自然環境を改善するとか、貧困を撲滅するためにその資金を費やす」。だが、「企業経営者が株主によって任命されている正当性は、経営者が依頼人たる株主の代理人として、株主利益に資するという一点に存する。経営者が『社会的目的』のために『課税』しそれを支出したとき、この正当性は消滅する」と述べている。
[注1]Milton Friedman (1970) “The Social Responsibility of Business is to Increase its Profits” The New York Times Magazine, September 13, 1970.