発達障害のひとつであるADHD(注意欠陥・多動症)の当事者である借金玉さん。早稲田大学卒業後、大手金融機関に勤務するものの仕事がまったくできずに退職。その後、“一発逆転”を狙って起業するも失敗して多額の借金を抱え、1ヵ月家から出られない「うつの底」に沈んだ経験をもっています。
近著『発達障害サバイバルガイド──「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47』では、借金玉さんが幾多の失敗から手に入れた「食っていくための生活術」が紹介されています。
働かなくても生活することはできますが、生活せずに働くことはできません。仕事第一の人にとって見逃されがちですが、生活術は、仕事をするうえでのとても重要な「土台」なのです。
この連載では、本書から「在宅ワーク」「休息法」「お金の使い方」「食事」「うつとの向き合い方」まで「ラクになった!」「自分の悩みが解像度高く言語化された!」と話題のライフハックと、その背景にある思想に迫ります(イラスト:伊藤ハムスター)。

発達障害の僕が発見した「お金がなくて自己肯定感が低い人」と「年収100万円以下でも楽しく暮らせる人」を分ける一つの要素

年収100万以下でもギリギリ暮らせた訳

 僕は高校を出た後、2年ほど友人と3人でシェアハウス暮らしをしていました。それこそ、「月収が6万円」みたいな極貧生活です。

 当時僕が暮らしていた田舎町でも、さすがに月収6万円で生活していくことは不可能でした。そこで僕は「一人6万は無理でも3人で18万ならギリギリ暮らせるのではないか」と考えたのです。実際本当にギリギリでしたけれど、なんとか暮らせました。

 それは、まるでロビンソン・クルーソーが生活基盤をつくり上げていくみたいなサバイバル体験で、今思い出すとなんだか楽しかった気がします。もちろん、大変だったり辛かったりした記憶もありますが、なにせ若かったですしね。暖房用の灯油代がなくて氷点下の部屋で毛布をかぶって眠ったり、電気が止まったのに払い込むお金がなかったりしたのも10年経てば結構いい思い出です。

 貧乏な生活をしていると、同じくらいの経済水準の仲間がたくさんできます。しかし、この同じ程度の収入しかない極貧仲間であっても生活の水準はそれぞれ全く別ものでした。少ない収入でそれなりに快適な生活を送っている者もいれば、その逆にある程度の収入はあっても荒れ果てた不便極まる生活を送る人もいたのです。

 その差はどこにあるのか? 僕はあるとき、その両者を分けるひとつの指標が「家に洗濯機があるかどうか」だと気づきました。

 洗濯機というのはそう高いものではありません。中古で2万円も出せば手に入ります。極貧とはいえ、手に入れることは可能です。しかし、ある種の人々はその2万円を出費せず、コインランドリーで数百円を支払うか、あるいはクリーニング屋を使ってしまうのです。

 コインランドリーまで出向いて洗濯をする。そこにはコストだけでなく、時間もかかります。それはまるで「井戸を掘らず、毎回川まで水を汲みに行く」行動様式です。洗濯機は大げさな例ではありますが、多くの人の生活の中にこのような「不合理で不経済な、まるで何かの修業のような行動様式」が見受けられるのは確かな事実です。

 これを僕は「設備投資できない病」と名づけました。

 現代社会において、生活の利便性を手に入れるための「設備」はたいていの場合購入するものです。そこにはもちろんコストがかかります。この支出を無自覚に拒否してしまう悪癖を、多くの人が有しています。それは、まるで「自分は貧乏なんだから、身の丈にあった暮らしをしなければいけない」というある種の自罰ですらあるように、僕には思えるのです。

人生をよくするのは「努力」ではなく「設備投資」

 世界で一番「設備投資」をするべき人は誰か。それは、最も持たざる人、何もない原野でサバイバルをしている人に他なりません。ひいては、貧しく不便な生活をしている人ほど、設備投資によって生活は簡単に、大きく快適になるのです。

 あなたの人生をよくするのは、「努力」ではなく「設備投資」です。具体的なモノだけが、生活の苦痛を取り除いてくれます。ただし、本書で紹介している「モノ」はあくまでも例であり、本質ではありません。究極的には、あなたの中にある「自分が頑張ればいい、設備投資はしなくていい」という感覚を見つけ出し、可能な限り拭い去ってもらうことが最大の目的です。そうすれば、人生というサバイバルのあらゆる局面で応用をきかせることができます。

 発達障害者だって貧乏人だって、豊かで快適な生活をしていいに決まっています。あなたの中にある、「自分はダメな人間なんだから、ラクをしてはいけない」のようなある種の自罰感情をまずは捨て去りましょう。そして、あなたの能力を最大限発揮できる、ゆとりあるよい暮らしを手に入れましょう。

 あなたは幸せになっていいに決まっているじゃないですか。