アジア系外国人男性との“できちゃった結婚”はすぐに破局
チェ・ホアは続ける。
「それからもう一つ重要なのは、会話力、というかコミュニケーション力ですね。スナックやクラブじゃないし、別に媚を売る必要はないんだけど、健全店に来るお客さんの多くは寂しいんだと思うんです。好みのタイプの女のコに疲れを癒してもらって、恋人気分で会話がしたい、みたいな。だから、会話がうまくできる女のコは人気があります」
チェ・ホアは、働き始めたばかりの従業員に「上品な言葉遣いと態度で接すること」を徹底するそうだ。「中国の女のコは、日本人と比べて普段から言葉も態度も乱暴なコが多い」。敬語を正しく使い、丁寧な動作を身につけて“大和撫子”風に改めさせるだけで、客からの評価は上がる。それは自分自身の実体験から得た知見でもあった。
「内装も派手な感じじゃなく、上品で心が休まる感じにしたほうがいい。もちろん清潔第一です。あと、みんなおカネを稼ぎたいのは一緒だけど、おカネ、おカネばかり考えていると、なんとなく態度に出ちゃうんですよ。お客さんはそういうのに敏感ですから。たとえば、30分延長してほしくても、その気持ちをあからさまに出しちゃダメですね。お客さんともっといたいなあ、って態度をうまく出せれば、お客さんの財布のひもは自然にゆるみます」
さて、ここまで述べていなかったが、実は、彼女にはすでに子どもが生まれていた。IT関連事業を始めた時期、チェ・ホアがスナックで働いていた時代に、客として店を訪れていたアジア系外国人男性と“できちゃった結婚”をしていたのだ。
しかし、夫となった男性は、事業を経営している時期も、そして事業に失敗した後も「全然仕事をしなかったし、酒を飲んでばかりいた」ために離婚。彼女は子どもを抱えながら、自らの拠り所である「中国エステ」をひとりで開業し、経営していた。
「個人的な偽装結婚」を利用してビザを取得
経営していた店舗を売り払った後、彼女は 「子どもを養うためには貯金をしなければ」と、すぐに山手線沿線の「中国エステ」で働き始める。さらに、日本人配偶者としてのビザを取得するために、日本人男性との「結婚」もした。
「相手はお客さんです。私の仕事の事情は知っていました。ただ、『好き』かというと……」
彼女の「結婚」の実態はいかなるものなのか。「日本人との結婚ビザ」が、日本滞在を求める外国人の立場の安定にとって重要な役割を果たしていることは、すでに本連載の第3回でも触れたとおりだ(もちろん、すべての「結婚ビザ」がそういった打算の中にあるという単純化したイメージの付与は避けなければならない)。
かつて、蛇頭をはじめとした「入国ブローカー」が中国・日本双方で活動していた時期、彼らは、ビザの仲介、つまり偽装結婚ブローカーの役割も果たしていたとされる。しかし、そういった違法組織の勢力が衰えるなか、「組織的な偽装結婚」が困難になる一方で、「個人的な偽装結婚」が生まれているという話も聞こえてくる。チェ・ホアの2度目の「結婚」は、「個人的な偽装結婚」であるようだ。
「個人的な偽装結婚」とは何だろうか。最も「偽装結婚」らしい「個人的な偽装結婚」は、組織の力に頼らず、自分の力で「偽装結婚相手」を探すことだ。しかし、それにはカネもかかり、相手が裏切れば「偽装結婚」の事実が表面化することになる。
そこで登場した新しい「個人的な偽装結婚」の方法。それは、本物の「結婚相手」を探すことにほかならない。この場合、相手にとって自分は、幸せな結婚生活を送る生涯のパートナーである。その一方で、当人には「ビザのため」という前提がなければ結婚を望む可能性はないが、心の底から拒絶する相手でもないといった程度の感情しかない。
客観的に見ると、あるいは相手の立場に立っても、それはまぎれもない「結婚」であるが、彼女の心の中では「偽装結婚」となる。
「必要以上に家には帰らない。永住権取得などを視野に入れ、時期が来たら考え直す」
それが、チェ・ホアが抱いていた2度目の「結婚」への認識だった。
そして、「中国エステ」の「従業員」となって貯めた資金、在留資格の目処がついた、2012年の春、以前とは異なる関東近郊の駅に店舗を借り、ふたたび「中国エステ」のママとしての道を歩み出した。
「いつの間にか、エステ歴10年になっちゃった。お店はいろいろ変わったけど、その間にたくさんの常連さんがついてくれました。そのお陰で今のお店はこれまでになく好調ですね。場所は都心から離れていてあまりよくないんですけど、1日平均でお客さんは7、8人。1人当たり1万円~1万5000円くらいの売上があります。女のコも若くてキレイなコが入ってくれたので、今のところけっこう流行ってますよ。週末は予約で一杯なんてときもあって、フリーのお客さんをお断りすることも。相変わらず、トラブルも多いんですけどね」
実際、彼女にとって2回目の開業を迎えて間もなく、大きなトラブルに見舞われていた。