ちょうど1年前のことである。日立製作所CEOの東原敏昭氏は、『ダイヤモンドクォータリー』2020年特別編集号の中で、次のように述べている。
「脳科学、バイオテクノロジー、AIなどの進歩によって、技術的には可能でも、どこまでならば許されるのか、あるいは許されないのかという判断が求められる場面が、今後間違いなく増えていきます。そのために『倫理』について日頃から考えておく必要があります」
すでにマイクロソフトでは、2017年に「ETHER」 (AI and Ethics in Engineering and Research:AI、倫理、およびエンジニアリングと研究における効果)という委員会を設置し、AIに関する基本原則の遵守をいち早く表明している。
続く2018年には、グーグルが、国防総省とのパートナーシップに対する従業員の抗議行動が引き金となって、AI技術の利用に関する原則を発表した。そこでは、たとえば軍事技術への利用の禁止、社会への便益、人権の尊重といった倫理面が強調されている。
日本でも、ソニー、富士通、NEC、富士フイルムなどが、AIに関する倫理指針を策定し、社内でのAI教育などを実施している。こうした動きも、ニューノーマルの一つといえる。
なお、AIをめぐる楽観論と脅威論の論争はいまなお続いており、軍事利用やプライバシーの問題は言うまでもなく、性差別(セクシズム)や人種差別(レイシズム)、年齢差別(エイジズム)の惹起(じゃっき)、犯罪行為への利用といった可能性が指摘されている。また、このようにリスクがあらかじめ明らかになっているにもかかわらず、何の対策も講じなければ、なすべき行為を怠った「不作為の罪」にも問われかねない。
以上のように、AIは象徴的な例だが、生命科学や医療分野では、以前より倫理問題が議論されていた。そして現在、SDGs(持続的な開発目標)でも明示されているように、企業のあらゆる活動に倫理・道徳的な配慮と行動が強く求められている。
東原氏は、次のようにも述べている。「技術者倫理をまとめただけでは、およそ十分ではありません。合わせて、ビジネスと倫理の関わりについて主体的に考える人たちを増やしていかなければなりません。そのためには、こうした問題をオープンに議論できる環境が必要です」
実のところ、企業倫理は、以前から議論されてきた古くて新しい課題であり、しかし多くの場合、トップマネジメントの口から出てくることはなかった。ところが、状況は大きく変わりつつある。
こうした新しい現実に対応するには、トップマネジメントはもとより、ビジネスパーソンは、いかに倫理的に考え、行動するかについて、あらためて学ぶ必要がある。そのためには、「べからず」を並べたチェックボックス、またはコンプライアンスやハラスメントに関する研修よりも、まず「それは倫理的といえるのか」という唯一最善解のない問いを深く考える知的修練のほうが効果的である。
より具体的には、関西大学で倫理学を教える品川哲彦氏によれば、「ふだん当たり前に思われていることを根本から考え直す。そして、自分自身に対して疑問を投げかけ、自分とは異なる他者の視点で考える」ことだという。誤解を恐れずに言えば、すなわちゼロベース思考やクリティカルシンキングであり、EQ(心の知能指数)を高めることでもある。したがって十分習得可能といえる。
今回の品川氏へのインタビューでは、著書『倫理学入門』(中公新書)でも語られているように、技術の進歩、資本主義や企業組織にまつわるジレンマやトリレンマについて、倫理学の見方や考え方を紹介する。
デジタル技術の進歩を
倫理学の視点から考える
編集部(以下青文字):倫理学を学ぶことで、どのような人間的成長が期待できますか。
品川(以下略):ふだん当たり前に思われていることを根本から考え直し──これは哲学の精神です。倫理学は道徳、倫理についての哲学ですから──自分自身に対して疑問を投げかけ、自分とは異なる他者の視点から考えることで、自分の考えと行動に責任を持つ人、大勢(たいせい)に流されない人に成長しうることを挙げたいと思います。
ビジネスパーソンにとって身近なテーマに絡めて倫理学についてお伺いしたいのですが、今日は入門編ということで、最初に、倫理学ではどのように思考し、問題に答えていくのか、教えてください。
ある行為をするとしましょう。まずは、行為者がどういう考えでそれをしたのか、それをするとどういうことが起こるかを考察します。そのうえで、それをしてはならないか、してもよいか、むしろすべきなのかを問い、答えと答えを裏付ける論拠を探究します。その是非の判断の基準を規範──たとえば、正義や平等や公正などです──といい、この探究を規範倫理学といいます。
そのためには、それぞれの規範の意味を正確に理解していなくてはいけません。その研究をメタ倫理学といいます。同じ規範でも哲学者や時代や文化によって意味や位置付けが異なります。その研究を倫理思想史あるいは記述倫理学といいます。この3つのアプローチのどれもが不可欠で、これらが一体となって倫理学の思索が成り立つわけです。