「30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける?」
ソクラテス、プラトン、ベンサム、キルケゴール、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは?
いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校を舞台にした小説、『正義の教室 善く生きるための哲学入門』が刊行された。「平等」「自由」、そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生のかけ合いから、「正義」の正体があぶり出される。作家、佐藤優氏も「抜群に面白い。サンデル教授の正義論よりもずっとためになる」とコメントを寄せている。制作の舞台裏を著者の飲茶氏に伺った(構成/前田浩弥 初出:2022年4月20日)
「サンデル本」の弱点とは?
――『正義の教室』は、3人の女子高生がそれぞれに信じる「正義」の解説と、「その正義の問題点」が交互に織り込まれている構成となっています。この「3つの正義」を伝えるために、意識した点はありますか?
飲茶:意識したのは、「千幸がなぜ功利主義を信じているのか」「自由(みゆう)がなぜ自由主義を信じているのか」「倫理がなぜ直観主義を信じているのか」を丁寧に練り、描いたことです。
――なぜですか?
飲茶:マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』がブームになって以降、「正義をわかりやすく解説する本」「倫理学をわかりやすく解説する本」がたくさん世に出ました。でも、「それらを読んだけどあまり頭に入ってこなかった」という人はいっぱいいると思うんですね。
――私もサンデル本を読みましたが、難しかったですね(笑)
飲茶:その理由は、どの本も「こういう正義がある。こういう正義もある。こういう正義は、このような事例に当てはめたら、このような点で矛盾が発生する」ということを何百ページにわたって説明しているだけだからなんです。読んだところで、いろいろなケーススタディの知識は手に入るかもしれないけれど、実感は湧かない。だから頭に残らないんです。
――なるほど!
飲茶:そこで僕は、登場人物のキャラクターと「その人がなぜその正義を信じるに至ったか」という背景を丁寧に練り、「その人が真の気持ちからその正義を選択している」様を描いて、さらにその正義が周囲から否定される様もありありと描こうと試みました。それが実現したときに初めて、わかりやすく、読者に伝わる倫理学の入門書が作れるのではないかと考えたんです。
――そんな狙いがあったんですね!
「究極の質問」の意図とは?
飲茶:例えば、三人目の女の子の徳川倫理の場合、「昔、正義感にあふれる父親がトロッコ問題のような状況に追い込まれ、世間から非難を浴び、心を痛めている」という背景があり、そこから直観主義という正義を信じるに至る姿を描きました。
――多くの哲学者が論じてきた「トロッコ問題」。その派生ともいえる「30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける?」という状況に置かれたお父さんの話、印象的でした。「自分ならどうする?」と感情移入して、哲学や倫理学に疎い私も、最後まで挫折せずに読むことができました。見事に飲茶先生の術中にはまってしまいました(笑)。
飲茶:ありがとうございます。単純に、3種類の正義をそれぞれに擬人化し、かわいい女の子としてしゃべらせるだけなら、短時間で作れると思うんです。でもそれでは、今までの倫理学入門書と同じく、ただ単に情報が並んでいるだけになってしまう。3人それぞれが、それぞれの思想を持つに至った必然性をじっくり練ることに、いちばん時間と労力を使いました。
――3種類の正義を擬人化したものが、3人の女子高生。その3人がそれぞれに、自身のアイデンティティを揺るがされ、自分を見失いかける事態に直面するんですよね。飲茶先生が丁寧にキャラクターを描いているからこそ、こちらも感情移入しながら読むことができ、「3つの正義、それぞれの問題点」が、まるで自分自身の痛みのように伝わってきたんだと思います。
飲茶:あともうひとつ、小ネタを仕込んでいるんです。もともとは漫画として構想していましたから、登場人物のキャラクターを際立たせるために「決めゼリフ」を設定していて、『正義の教室』でもそのうちのひとつをそのまま活かしました。徳川倫理の「倫理的に問題ありません」というセリフです。
――印象に残っています。
飲茶:「倫理的に問題ありません」は、全体を通して3~4回、倫理に言わせているセリフだと思います。このセリフには二重の意味があって、ひとつはもちろん、宇宙の普遍的な真理として「倫理的に正しい」という意味。そしてもうひとつは、セリフを発している子の名前が「倫理」ですから、「自分的に正しい」という意味での「倫理的に正しい」という意味。こちらは「山田的には問題ありません」や「田中的にはOKです」と同じニュアンスですね。
――なるほど! 私は前者の意味合いだけを見ていました。
飲茶:基本的には、どの場面で登場する「倫理的に問題ありません」も、前者・後者どちらの意味で読んでいただいても大丈夫です。ただ、作中で倫理が最後に発する「倫理的に問題ありません」だけは、前者ではなく後者の意味のみ。「自分的には問題ありません」の意味で言わせています。
――そうだったのですね。面白いお話です。また読み返したくなります!