高田 中世や近世の能の演目では、家康や秀吉など為政者を立てていません。なぜ俺のことを書かない、と将軍に斬首されてもおかしくない時代なのに、なぜなんでしょう。

武田 秀吉は移動式の舞台を作り、戦場でも能の稽古をするほど能が好きでした。自分を礼賛する能を自作したか、人に作らせたかしているはずですが、残ってないのです。ということはそれが面白くなかったからだと思います。能は累計数千ほども作品があり、作られては消え、作られては消え、観世流では現行曲は210ほどになりました。時の権力におもねる能は人の心を打たないので残らないという気がします。

秋山 能はもっともお客様に忖度しない、お客様が自発的に来て感じるものですよね。権力者が自分の礼賛のために作ったとしても、結局誰も入っていかないので、なくなったんでしょうね。

武田 権力者の評価が能楽師の命運を決めるので、当然普段は阿諛追従(あゆついしょう)に終始することもあったでしょう。舞台上でおもねるような露骨なことをしても、時の権力者も喜ばなかったのかもしれません。

秋山 権力者の知性と感性のレベルが高かった。だから人を幸せにする、寿命の延びるような演目が残ったのかもしれませんね。

 ジャパネットでは、番組の中でMCの方が、商品とともにこんな幸せな生活ができます、と言っていて、新たに幸せに生きるためのヒントを番組やショッピングの行為からもらっていると思っています。だから通販と能は同じような効果があるのかもしれませんね。

武田 高田さんはこの10年だけでも、いろいろな新しいことにチャレンジされて、成功させたら、次の方に譲って、ご自身がまた新しいことを始められています。70歳を超えてなお、そういう活動を続けられる情熱を、私たちは絶対見習わなければいけないですね。

高田 今、コロナ禍で誰もがすごく疲弊しています。今までのように、効率化だけを求める世界に対して、声の調子、舞の美、場のエネルギー、心地よい空気など、筋書きや言葉の意味以外の部分で、人を幸せにする本質的なパワーが能にはあります。その点に注目すれば、能は難解ではありません。

 日本の伝統芸能に閉じ込めずに、スポーツやほかのエンターテインメントのように、今動いている世界と共通するものとして、バレエやオペラなどとも協業したりして、日本のソフトパワーとして、世界にもどんどん広まっていってほしいと思います。

(構成/ライター 奥田由意)