ジャパネット創業者・高田明氏 
ジャパネット創業者・高田明氏 Photo by Kazutoshi Sumitomo

数々の功績を残したトップリーダーたちは、リーダーになるまでに何を考え、どう行動していたのか。連載第3回は、ジャパネットたかた創業者・高田明氏にネクストリーダーに必要な心得を聞く。家業である長崎のカメラ店の手伝いからはじめ、全国展開の通信販売事業に乗り出して、退任までにジャパネットたかたを年商1500億円超の企業に成長させた高田明氏。しかし、実はこれまで目標をほとんど立てることなく、経営を行ってきたという。「これまで失敗はしたことがない」とも語る高田明流の仕事への向き合い方を聞いた。(※「高田」の正式な表記は“はしご高”)

目標は立てない、人と比較しない
目の前のことを一生懸命やるだけ

 私は今72歳になりましたが、これまで大きい目標を立てたり、人と比較したりしたことはほとんどありませんでした。あったとしても2、3回くらいです。基本的には、売り上げをいくらにしよう、あの会社を抜こうと考えたことはなかったですね。

 今のジャパネットたかたにつながっていくことになる家業の「カメラのたかた」を手伝いはじめたのは、25歳の時でした。京都で勤めていた会社を辞めて、お金も行くところもなくなり、平戸へ帰ることになったからです。

 当時の平戸は観光産業が活況で、観光地やホテルで観光に来たお客さんの写真を撮って、現像してプリントしたものを販売する仕事も行いました。手伝いではじめた仕事でしたが、全力投球で頑張りましたよ。目の前にあることに夢中になって、一生懸命になれる性格なんです。

 27歳のときには結婚をして、長崎県の北部にある松浦市という町で支店を任されることになりました。でも、当時の店の月商は55万円で、1日に2万円の売り上げもないんです。これはいかんなと、このときばかりは1年で月300万円の店にしようと思いました。

 どうすれば300万円の店にできるだろうと考えましたよ。まず、フィルムを集めようと建設現場を回りました。公共事業だと役所に写真を提出しないといけませんから、建設現場では写真をたくさん撮るんです。すると20社くらいの契約が取れて、社員さんとも仲良くなってカメラやフィルムを買ってもらいました。それでも300万円には足りません。

 そこで今度は、松浦の時計屋さんなどを誘って元寇終焉の地として知られる鷹島という島に行って、出張販売をしました。ガリバン刷りで手作りのチラシを1000枚くらい作って配ったら、人がたくさん集まって、1日でカメラが30万円も売れたんです。日々できることを一生懸命やったことで、1年後には月商300万円の店になりました。