マスコミにとって政治家よりも官僚の方が大事な情報源

 さて、このような話を聞くとおそらく皆さんは、「そのような官僚組織の問題があるのなら、マスコミが問題視しているはずだ」と思うだろうが、実はマスコミにはそれができない構造的な問題がある。

 霞が関の役人というのは、マスコミにとって継続的に情報をいただく「取引先」だからだ。

「週刊文春」などを見ていただければわかりやすいが、基本的にスクープとは「リーク」である。内部の人間からの情報提供を受けて取材で裏をとってそれを報道するというのが一般的な流れで、これは文春の後追いばかりしているマスコミも変わらない。

 では、マスコミにとって「リーク」とは何かというと基本的には官僚からのリークだ。よくマスコミの社長たちが首相などと会食をしているので政治とベタベタだと言われるが、政治家は落選したらただの人。一方、官僚は身分保証されたまま霞が関で30年以上も暗躍できる。マスコミをメーカーとすると、官僚ほど信頼のおけるサプライヤーはいないのだ。

 そのような意味では、実はこの国の報道というのは、マスコミと一部の高級官僚が手を携えてつくってきた「官製ジャーナリズム」ともいえるのだ。

 これにはもちろん、いいこともあった。政治リーダーが暴走をすると、官僚からマスコミにリークがバンバン流れて、スムーズに政権を潰すなんてこともできた。「官製ジャーナリズム」がうまく機能していた時代も確かにあったのだ。

 しかし、今はどちらかというと、その癒着が悪い方向へ流れてしまっている。なぜかというと、マスコミも官僚も「既得権益」でメシを食っているからだ。そんな両者が手を結んでもロクなことにならないのは言うまでもない。口ではイノベーションだ、改革だ、と調子のいいことを叫ぶが、今の日本社会が変わってしまったら、これまでのような「上級国民」の座から引きずり下ろされてしまうツートップが、実はマスコミと官僚だ。

 それは彼らの「働き方」を見れば明らかだ。企業には偉そうにああだこうだとご高説を垂れるが、役所ではいまだにファックスやハンコを使っているように、自分たちはほとんどデジタル化は進んでない。

 マスコミも同様だ。河野太郎行革大臣に揶揄されたように、この時代に、深夜の記者会見を催して、囲み取材だ、夜討ち朝駆けだと昭和と変わらぬことを続けている。さまざまな企業がオープンイノベーションだと技術や知識を共有する中で、「記者クラブ以外は出ていけ」などとフリー記者を追い出しているのも、いつの時代だよとあきれてしまう。

 われわれ庶民はどうしても何か問題が起きると「政治が悪い」と叫んでしまいがちだが、実は政治を盾にして、自分たちへの批判をかわし続けている「知能犯」がいる。その醜悪な現実にそろそろ国民は気づくべきだ。

(ノンフィクションライター 窪田順生)