毛沢東の異常なカリスマ性

 中国では、毛沢東の治世によって、人類史上見られなかった独裁体制を築き上げたといわれている。毛沢東は反対派を粛清して投獄し、「大躍進政策」(1958~61年)で数千万人を餓死に追い込み、その5年後に始まる文革でも多くの死者を出した。思想改造を強制し、人間の精神にまでも影響を及ぼす文革は、全世界に大きな衝撃を与えた。『歴史のなかの中国文化大革命』(岩波現代文庫)をはじめ、文革について数々の著作を残す加々美氏は次のように語っている。

 「中国は伝統的に家族のつながりが支えてきた国家でしたが、その基本となる地域社会や兄弟、親子、夫婦の家族関係を徹底的に破壊したのが、毛沢東による文革でした。『一線を画す』と言って、自分の恩師や上司をこん棒でたたきのめし、親を殴りつけるなど、国のあちこちで多くの悲劇が起こりました。そして最後は、公衆の面前で徹底的に自分を否定する“自己批判”をさせました。毛沢東というそのカリスマは人間の魂の中にまで入り込み、最後には賛成派、反対派を含む国民全員を『毛沢東万歳!』で収斂させたのです」

 このような“異常なカリスマ性”に比べれば、現国家主席・習氏の国民への影響力は限定的だ。習氏自身は“毛沢東の再来”を目指しているというが、毛沢東に見るような“超人ぶり”には程遠い。

“聖地・天安門広場”での今回の式典動員数を7万人にとどめた背景には、感染防止や安全対策があったとも考えられるが、仮に制限がなかったなら“100万人の熱狂”を実現することができただろうか。「マスゲーム」のような演出にこだわったのも、「一糸乱れぬ動き」をさせることでしか、権力を誇示できなかったからではないだろうか。

 習氏には、「5年に1度の党大会時に68歳以上なら引退」とする共産党最高指導部のメンバーの定年慣例が適用されず、2027年まで最高指導者の地位が続くといわれている。そうして、反対派をことごとく排除し、メディアやインターネットでの言論統制を強め、さらには市中に配備する大量の監視カメラに膨大な予算を投入しているところだ。

 毛沢東を目指す習氏とはいえ、一連の動きから見て取れるのは、“低下したカリスマ”ゆえの悪あがきといえそうだ。