「さすがに来年までにはコロナ禍も収束しているだろう」「コロナ禍を乗り越えて開催するオリンピックは人々に感動を与えるだろう」――。こうした「希望的観測」は、ワクチン開発のスピード、世界でのワクチン争奪戦、変異株の登場といった、この1年の状況をみれば、ただの「幻想」であったことは明らかです。人は、自分に関することはつい、希望的観測でものを考えがちです。新型コロナウイルスの感染拡大に関する二つの大きな「失敗」と、そこから得られる三つの「教訓」をみていきましょう。(一橋大学名誉教授 石倉洋子)
成功モデルが見当たらないとき
失敗事例を反面教師にして参考にする
世界中でここ10年ほど、「ライフ・ロング・ラーニング」(生涯学習)や「リ・スキリング」(スキルの獲得・開発)の必要性について議論がなされてきました。
本稿では、こうした「学び」について、「どこから学ぶか」「何から学ぶか」という基本的な課題を、新型コロナウイルスの感染拡大と東京オリンピック・パラリンピックの開催を題材に考えてみましょう。
現在(2021年7月上旬)、新型コロナウイルスの猛威によって世界で400万人以上が亡くなり、経済、政治、社会の構造は大きく変わりました。
このような事態にあって、「あの国、あの企業、あの人のやりかたを参考にすれば何とか対応できるはずだ」というモデルがほとんど見当たらないのが現実です。
一方、「このようなやりかたは二度とすべきではない」という、いわゆる反面教師の事例はあちこちでみることができます。
世界の多くの国がデジタル化にかじを切り、「テクノロジーをどのように活用するか」が、国や組織の盛衰を決める兆しが出てきた時、日本はデジタルがもたらす大変革に気がつかなかった、または、それに対応してきませんでした。現在の日本国内のコロナ禍への対応を顧みると、そのツケがあちらこちらで顕在化しています。そのことは日本全体が実感しています。
こうした「失敗」をそのままにしてしまってよいのでしょうか? 大事なのは、「反面教師から学ぶ」ことです。「これはダメだ」「こういうやりかたは違う」とただ批判するのではなく、自身の活動のどのようなケースにそこから得られる教訓を生かすか、つまり「目にした失敗を自身の反面教師として捉えることができるか」、それが「学び」において不可欠なのです。
新型コロナウイルスの感染拡大と東京オリンピック・パラリンピックの開催に関しては、二つの大きな「失敗」と、それを反面教師として私たちが得ることのできる三つの「教訓」があります。