広東と四川に偏った日本の中華料理
今後は多様化が進む?

 日本の中華料理史を簡単に振り返ってみると、まず、日本の中華料理といえば、100年以上の歴史がある横浜中華街を思い浮かべる人が多いだろう。横浜中華街では、料理店の多くが1800年代後半に広東省からやってきた中国人によって作られているため、広東料理店が中心であり、『聘珍楼』や『萬珍楼』などの老舗に代表されるように、今もオーソドックスな広東料理を提供する店が多い。

 また、四川省出身の陳建民氏が築いた四川料理という系統もある。陳氏は1950年代、東京都内に『四川飯店』をオープンさせたが、日本ではなかなか手に入らないニンニクの葉の代わりに、キャベツを使うという日本独自の回鍋肉(ホイコーロー)を考案したり、辛さを抑えたマーボー豆腐、エビチリなどを日本に普及させたりしたことで知られている。

 彼や、彼の息子の陳建一氏の功績に加え、味の素の合わせ調味料『Cook Do』シリーズや、前述した四川省発の火鍋チェーン店の日本上陸などにより、気が付けば、(横浜中華街を除き)日本の中華料理の大半が四川料理で占められるようになった。

 そのほか、満州帰りの日本人によってもたらされた焼きギョーザをはじめ、チャーハン、ラーメンなど、手ごろな料理を中心とした「町中華」や、東京・池袋駅北口周辺や高田馬場・早稲田周辺、埼玉県川口市周辺などに、在日中国人コックによる在日中国人向けの「新興中華」があり、一口に日本の中華料理といっても、いくつもの系統に分かれており、一くくりにはできない。

 一方、よく知られているように、中国には四大中国料理という系統がある。山東(または北京)、上海、四川、広東料理を指すが、これ以外に湖南、福建などの料理を加えた八大中国料理もある。しかし、日本の中華料理といえば、ここまで紹介してきたように、本場中国の系統とはかなり異なり、圧倒的に広東と四川料理に偏っており、その範囲は、中国にある料理の奥深さとは比べものにならないほど狭く、日本風にアレンジされたものだった。

 だが、ここまで紹介してきたように、昨今は日本の中華も急速に進化を遂げている。日本も中国の中華料理が変化してきた影響を受けていることと、中国との情報の格差が縮まり、在日中国人を中心に、日本の中華のレベルが上がってきているからだ。

 今後、日本の中華料理はどうなっていくのだろうか。冒頭で紹介した徐耀華氏はこう予測する。

「中華料理の世界は非常に奥深く、幅広く、全体像を見ることは容易ではありません。これまでは、各地方の定番料理を中心に日本に普及していった中華料理ですが、次第にオーソドックスで単純なジャンル分けをした料理店は少なくなってきています。

 例えば、フカヒレといえば、姿煮という料理が定番で、以前はそれ以外の調理法は考えられなかったですし、広東料理以外で使用することはほとんどなかったのですが、今ではそうした固定観念はなくなってきており、食材の可能性を柔軟に追求するようになっています。また、日本人の舌も肥えてきて、それを求めている。今後は日本の中華もさらに多様化が進んでいくのではないでしょうか」