カリスマでも崩せなかった牙城
日立ハイテクの支配権握った新社長
順調に見えた日立グループの組織再編でも、グループ企業から強い反発を受けてきた。抵抗勢力の1つが、“虎の子上場子会社”だった日立ハイテクである。
あまり知られていないが、デジタル化とのシナジーが見込めない事業の売却を進めていた中西氏は日立ハイテクの経営陣に、「半導体装置事業は外へ出したほうがいい」と呼び掛けていた。
しかし、日立ハイテクは中西氏の提案には従わなかった。同社は日立グループの中でも独立心が強く、利益も出ていたため、親会社の意向を無視するだけの「力」があったのだ。
中西氏といえば、日立のV字回復の立役者であり、社内での求心力を高めていたところだった。そのカリスマ経営者をもってしても、日立ハイテクの牙城は切り崩せなかったのである。
日立グループにはリーマンショック前、22社もの上場子会社があった。同グループは自立心が強い独立王国の集合体であり、日立本体もそれを良しとしていた。
だが経営危機後、川村隆、中西、東原の歴代3社長は、子会社が低収益事業を温存することを防ぐために経営のグリップを強め、中央集権化にかじを切った。
中央集権化の成果の一つが、子会社の統合や売却である。とりわけ上場子会社については、親会社である日立と少数株主との間に利益相反が起きやすい。そのため、売却するか完全子会社化するかの経営判断は急務でもあった。
日立ハイテクは最後に残った上場子会社4社のうちの1社。日立ハイテクの組織再編は、日立にとって、大きな懸案の一つだったのだ。
そして、その「手ごわい子会社」を説得し、ついに完全子会社化を実現したのが、6月に日立社長に就任した小島啓二氏である。
結果的に、日立ハイテクは切り売りされるのではなく、日立本体に取り込まれることになった。それでも、日立ハイテクの社員に平穏な日々が訪れるわけではない。
日立は、完全子会社化によって日立ハイテクの支配権を手にした上で、構造改革を行おうとしているのだ。