みずほが、不祥事を何度繰り返しても生まれ変われず、金融庁に「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」と企業文化を酷評されるに至ったのはなぜか。その真相をえぐる本特集『みずほ「言われたことしかしない銀行」の真相』(全41回)の#18では、みずほが起こした最初の大規模システム障害の責任を取って取締役9人が総退陣した一件から得られる教訓にスポットライトを当てる。

9人もの取締役が去ったにもかかわらず、みずほは「呪縛」と決別することができなかった。その理由を探ると、なぜみずほが「言われたことしかしない銀行」になったのかを考える上で示唆に富む数々の真相が浮き彫りとなった。

「週刊ダイヤモンド」2002年10月26日号特集「銀行の沈鬱」を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの。

取締役9人総退陣の荒業でも
みずほは過去の「呪縛」を断ち切れず

「システム障害の責任を感じない日は1日だってない。でも、オレだって生活のためには働かなければならない。みずほを辞めたからといって、二度とビジネスの世界に出てくるな、というのは、あまりに乱暴な話ではないか」

 親密取引先に再就職した意図について質問すると、この2002年3月末に退任したみずほホールディングスの旧経営者の1人は、苦渋の表情を浮かべながら語った。

 2001年11月末。みずほホールディングスの前CEO(最高経営責任者)である西村正雄・日本興業銀行頭取、杉田力之・第一勧業銀行頭取、山本惠朗・富士銀行頭取の3人は、自らを含む取締役9人の総退陣を発表した。

 旧3行の不協和音が絶えなかったみずほの株価は、2000年9月の持ち株会社設立時の約90万円(50円額面の900円に相当)から下落の一途をたどり、昨年11月には3分の1の30万円程度にまでなっていた(グラフ参照)。

 強い危機感を抱いた3人のCEOは、思い切った経営刷新によって、過去との決別を図った。

 当時、みずほのある中堅幹部は、「トップが自らの進退を決することができなければ、みずほは四大銀行の競争から退場するしかない」とまで思い詰め、総退陣のニュースを聞きながら、「これで、みずほは再生できるかもしれない」と呟いたものだった――。

 その後のみずほは再生の道を力強く歩んでいるといえるのだろうか。総退陣を決めた9人の旧経営陣の近況には、今日の銀行が振りほどけない「呪縛」を示唆する興味深い事実が潜む。