みずほ 退場宣告#4Photo:JIJI

相次ぐシステム障害により行政処分を受け、金融庁からガバナンス不全を痛烈に批判されたみずほフィナンシャルグループ。振り返れば、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が対等合併して誕生したみずほには、壮絶な内部闘争と、その不毛な戦いからの脱却にもがいた歴史が横たわる。特集『みずほ 退場宣告』(全8回)の#4では、3行合併以来、長きにわたって堅持していたみずほ銀行とみずほコーポレート銀行の2バンク体制からの決別を決意した直後に、時計の針を巻き戻す。「旧行意識を引きずったままでは未来はない」(みずほ幹部)。そうした思いで断行した1バンク体制への移行だが、その裏には人事抗争撲滅が一筋縄ではいかないみずほの苦悩があった。

「週刊ダイヤモンド」2011年6月18日号の第2特集「みずほ再々編の五里霧中」(週刊ダイヤモンド編集部 鈴木崇久、山口圭介)を基に再編集。肩書や数値などの情報は雑誌掲載時のもの。

多頭体制に決別した2011年
権力闘争の「新たな火種」が再燃

 2011年5月23日夜、東京・新宿の飲食店──。みずほフィナンシャルグループ(FG)幹部は、発表されたばかりのトップ人事のコピーをさかなに生ビールを飲み干すと、にやりと笑ってつぶやいた。

「結局は旧3行のバランスを取った人事。権力闘争はむしろ今日から激しくなるよ」

 その宴席からさかのぼること数時間、東京・日本橋の日銀記者クラブで、持ち株会社であるみずほFGの塚本隆史社長は、みずほ銀行(BK)と、みずほコーポレート銀行(CB)の2バンク体制から決別し、1バンク化を図る考えを表明していた。

 みずほは長年、他に類を見ない2バンクという看板を掲げてきた。だが、東日本大震災直後に起こした発足以来2度目となる大規模システム障害を巡り、その看板を下ろすことで、地に落ちた顧客の信頼回復を狙ったものだった。

 この中ではトップ人事にも言及。BKの西堀利頭取は引責辞任し、塚本社長は持ち株会社の代表権のない会長となり、BKの頭取に就任。そして佐藤康博CB頭取は続投し、FGの社長を兼務することを発表したのだ。

 これまでみずほは前身の第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行で、FG、BK、CBのトップを分け合う3トップ体制を構築してきた。ただ、責任の所在が曖昧だとして、長らく金融庁も問題視していた。

 こうした旧弊を打破し、批判されてきた多頭体制の意思決定をグループCEOとなる佐藤頭取に一元化することで、不毛な人事争いに終止符を打つという思いを打ち出したものとみられた。

 ところがである。発表直後、BKのある支店長は次のようなメールを知人に送っていた。

「旧富士サイドから不満が噴出していて、新たな火種になるかもしれません」

 過去との決別を誓いながら、人事抗争の再燃を示唆するかのような文面からは、みずほが抱える問題の根深さがうかがわれる。

 それもそのはず、みずほの歴史は内部抗争の歴史そのものであり、行内には、権力にしがみつく男たちの業が凝縮されていた。

 次ページでは、1バンク体制への移行で新局面を迎えたみずほの旧行ポスト争いの内幕と、いつまでたってもなくならない不毛な抗争に冷ややかな目を向けるみずほの中堅・若手の悲劇を追う。