みずほ 退場宣告_INDEXPhoto:kinemero, Prairat Fhunta/EyeEm/gettyimages

「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」。システム障害を繰り返したみずほフィナンシャルグループのガバナンス上の問題の「真因」として、金融庁が放った言葉には最大級の皮肉が込められていた。だがみずほは、これまで2度の大規模システム障害や反社会的勢力との取引問題を度重ねて引き起こした反省から、むしろ他のメガバンクより改革を先駆けてきた。だからこそ、再び「ガバナンス不全」と糾弾されるに至った事態は深刻だ。みずほの歯車は、どこで狂いが生じたのか。今、変わらなければ、みずほはいよいよ顧客からの信頼を失い、銀行業界からの「退場」を宣告されてしまう。特集『みずほ 退場宣告』では、12月6日(月)から、全8回にわたり、その問題点を追求していく。

#1 12月6日(月)配信
みずほ10年改革に“2つの大誤算”、「言われたことしかしない」と金融庁に皮肉られた真の理由

みずほ 退場宣告#1Photo:Bloomberg/gettyimages

 かつて2度の大規模システム障害を起こし、反社会的勢力との取引でも大混乱に陥ったみずほ。それだけにこれまでも、諸悪の根源とされた旧行意識の撲滅に努め、「メガバンク万年3位」から脱却すべく業績向上改革に取り組んできた。にもかかわらず今年、なぜ3度目の大規模システム障害が発生し、ガバナンス不全が露呈したのか。みずほが行ってきた10年改革の“誤算”を解き明かす

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#2 12月7日(火)配信
みずほFG次期トップ候補5人を大胆予想!3条件クリアの「本命2人・若返り案2人・大穴1人」

みずほ 退場宣告#2Photo:Howard Kingsnorth/gettyimages

 システム障害を受けて、みずほフィナンシャルグループの坂井辰史社長が引責辞任の意向を表明した。会長とみずほ銀行頭取も同時に退任となるが、後任が決まっているのは頭取のみだ。待ち受けるのは、外部人材の登用か、それとも若手幹部の抜てきか。首脳人事の行方を追った。

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#3 12月8日(水)配信
みずほに広がる「悔恨の念」、なぜシステム部門の人員削減を拒めなかったのか

みずほ 退場宣告#3Photo:PIXTA

 みずほフィナンシャルグループで頻発したシステム障害。金融庁は同社のガバナンスや企業風土、坂井辰史社長が進めた構造改革が問題だと指摘するが、根本的な原因は何だったのか。障害を繰り返すみずほの深層を探った。

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#4 12月9日(木)配信
みずほ内部闘争「無限ループ」の壮絶、1バンク制移行直後から旧行でポスト争いの不毛

みずほ 退場宣告#4Photo:JIJI

 相次ぐシステム障害により行政処分を受け、金融庁からガバナンス不全を痛烈に批判されたみずほフィナンシャルグループ。振り返れば、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が対等合併して誕生したみずほには、壮絶な内部闘争と、その不毛な戦いからの脱却にもがいた歴史が横たわる。本稿では、3行合併以来、長きにわたって堅持していたみずほ銀行とみずほコーポレート銀行の2バンク体制からの決別を決意した直後に、時計の針を巻き戻す。「旧行意識を引きずったままでは未来はない」(みずほ幹部)。そうした思いで断行した1バンク体制への移行だが、その裏には人事抗争撲滅が一筋縄ではいかないみずほの苦悩があった。

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#5 12月10日(金)配信
みずほ「佐藤1頭時代」の経営改革が生んだ、3度目のシステム障害の温床とは?

みずほ 退場宣告#5Photo:REUTERS/AFLO

 相次ぐシステム障害により行政処分を受け、金融庁からガバナンス不全を痛烈に批判されたみずほフィナンシャルグループ(FG)。2度目の大規模システム障害を機に佐藤康博氏(現FG会長)がグループCEOに就いてから、2年の月日がたった2013年に焦点を当てる。このときみずほは、なお前身の旧3行の派閥の影がちらつく中で、名実共に1トップ体制に移行しようと奔走。同時に、今回のガバナンス不全を引き起こした一因が潜む「カンパニー制」の土台を整えていた。だが、みずほが描いた理想には、最初から危うさが漂っていた。本稿では13年当時に行った佐藤氏のインタビューも掲載。そこには、他のメガバンクとの差別化を図って攻めに転じ、旧行闘争に終止符を打とうともがく様がありありと見える。

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#6 12月11日(土)配信
みずほ「経営トップ総退陣」は2001年にも、繰り返す戦略なき人事すげ替えの末路

みずほ 退場宣告#6Photo:JIJI

 相次ぐシステム障害により行政処分を受け、金融庁からガバナンス不全を痛烈に批判されたみずほフィナンシャルグループ。前身の旧3行が統合を発表し、持ち株会社としてみずほホールディングスを設立した1年後まで時間を巻き戻す。2001年秋、まだ1度目の大規模システム障害も起きていない頃のことだが、巨艦みずほはすでに制御不能に陥っていた。起死回生のため、「経営陣9人の総辞任」という切り札を出したものの、戦略なきみずほの再生には当時から懐疑的な目が向けられていた。経営統合という手段が目的に転じてしまったみずほから学ぶことは、現在においても多い。

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#7 12月13日(月)配信
みずほが銀・信・証の大企業営業を同時解体した理由、企業の「みずほ離れ」阻止へ正念場

みずほ 退場宣告#7Photo:Anadolu Agency/gettyimages

 システム障害を多発させたみずほフィナンシャルグループに、企業の“みずほ離れ”の足音が近付いている。だが、辞任を決めた坂井辰史社長は、大企業営業部隊を再構築させるため、伝統の「ナンバー部」解体という置き土産を残していた。みずほが今年着手した大企業営業の改革の内幕に迫る。

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#8 12月14日(火)配信
みずほ社外取がトップ解任を最後まで迷った理由、社長が営業店に残した「劇薬」の正体

みずほ 退場宣告#8Photo:Bloomberg/gettyimages

 今年2月以降、システム障害を頻発させているみずほフィナンシャルグループ(FG)。坂井辰史・みずほFG社長は11月26日、来年3月末での辞任を表明したが、実はみずほ上層部は最後の最後まで「坂井氏温存」の選択肢を捨てていなかったとされる。背景にあったのが、営業店改革だ。だがそれは、みずほの今後の命運をも握る“劇薬”といえた。坂井氏が行おうとした改革の真意とは何か。

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Key Visual by Noriyo Shinoda