特効薬の開発が進み
予防法も確立される

――約12倍もうつ病になりやすくなって、かつうつ病患者が5人いたら4人は「SITH-1陽性者」となれば、それはもう「うつ病の原因はウイルスである」と断言してもいいのではないでしょうか。

 われわれ学者は「原因」ではなく「リスクファクター(危険因子)」という言葉を使います。なぜなら、うつ病の発症には疲労やストレスをはじめとするさまざまなリスクファクターが絡んでいて、原因は一つではないからです。

――なるほど。ではこの発見は、人類にどんな利益をもたらすでしょう。

 最も期待されるのは、現状の抗うつ薬に代わる「本当の特効薬」の開発です。病気の原因を特定する最大の意義はそこにあります。HHV-6とSITH-1がうつ病の原因と判明すれば、HHV-6が嗅球に潜伏感染するのを邪魔する薬や、SITH-1の発現を抑える薬など、的を絞った研究開発ができるようになります。

 そこは研究者間の競争になりますが、私はあと2~3年で発表できるのではないかと思っています。ただ、実用化されるのはもっとずっと先かもしれませんが。

――「SITH-1抗体が陽性か陰性かを調べれば、うつ病になりやすいかどうかが分かる」というのは、予防のためには有用そうですが、就職活動などでの差別も生みそうですね。

 そこが心配なところです。入社試験でSITH-1陽性者が排除されるようなことはあってはなりません。それに私はHHV-6とSITH-1が人類を社会的な動物に進化させたのではないかと考えています。

 以下、一種の思考実験とお考えください。

 地球上にはかつて2種類の人類が存在していました。片方はネアンデルタール人、もう片方は現代人の祖先クロマニョン人です。

 両者は20万年もの間共存していましたが、今から7万年前、クロマニョン人に「認知革命」が起こり、突然ネアンデルタール人をすごい勢いで殺し始め、あっという間に絶滅させてしまったのです。最新の説ではネアンデルタール人はクロマニョン人より体も脳も大きかったとされているのに、不思議ですよね。

 7万年のこの時期、クロマニョン人は急に集団生活を始め、宗教的な儀式も始めたといわれています。私はそのとき、クロマニョン人の間にHHV-6が大流行し、彼らの心に「不安」の種がまかれたのではないか、そしてその影響で社会での求心力が高まり戦闘的な集団に変わったのではないかと考えています。

 HHV-6が人々を凶暴化させたということではありません。生き残りに有利な動物に進化させたのではないかということです。

 ウイルスの本来の目的は自分の子孫を増やすことで、ヒトを病気にすることではありません。そのためには宿主は元気で長生きしてくれた方がいい。

 つまりHHV-6とSITH-1は、人類を苦しめるのではなく、むしろ助けてきたのではないかと想像しています。

――だから、陽性者を落とすことは、会社の生き残りにとってマイナスになると。

 そうです。社会学の観点から、うつ病になりにくい人は、他者のことを気にせず、仕事にも関心が低いという傾向が分かっています。例えば夕方5時直前に急な仕事が発生したとします。「誰か手伝ってほしい」と頼んだ場合、率先して手伝ってくれるのはSITH-1抗体陽性者の特徴の一つである不安を感じやすい人です。こうしたことを社会が正しく理解さえしてくれたら、SITH-1の検査はとても有用だと思います。

――うつ病の仕組みを理解し、理にかなった対処を考えるべきだということですね。

 うつ病になりやすい人と、なりにくい人がいることは分かっています。疲労やストレスがうつ病の引き金になる具体的なメカニズムも分かってきました。疲労やストレスがうつ病のリスクファクターだとしても、全く仕事をしないわけにはいきません。必要なのはここまではOK、ここからはNGという線引きです。要するに「正しく恐れる」ことが大切なのではないでしょうか。

(監修/東京慈恵会医科大学ウイルス学講座教授 近藤一博)

近藤一博(こんどう・かずひろ)
東京慈恵会医科大学ウイルス学講座教授
大阪大学医学部卒業後、大阪大学附属病院研修医、大阪大学微生物病研究所助手、スタンフォード大学ポストドクトラルフェロー、大阪大学医学部微生物学講座准教授を経て、現職。同・疲労医科学研究センター教授を兼任。日本ウイルス学会評議員、日本疲労学会理事。