みずほが、不祥事を何度繰り返しても生まれ変われず、金融庁に「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」と企業文化を酷評されるに至ったのはなぜか。その真相をえぐる本特集『みずほ「言われたことしかしない銀行」の真相』(全41回)の#6では、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行の旧3行が合併してみずほ銀行が誕生する前夜に時をさかのぼって検証する。

当時の世界最大となる金融グループ・みずほ誕生の再編合意前夜、ごく限られた人間たちのあいだで必死の頭脳戦が展開された。興銀と富士はそれぞれ一勧とだけの2行合併を望んだ。一勧はあくまで3行を主張した――いかにして3行統合はなったか。交渉の舞台裏の後編をお届けする。

週刊ダイヤモンド」2000年4月8日号特集「検証ドキュメント 興銀 一勧 富士 三行統合前夜」(週刊ダイヤモンド編集部 辻広雅文)を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの。ごく限られた人間たちの間で展開された、旧3行の統合交渉の舞台裏を前編と後編に分けて検証した特集である。

>>前編『【みずほ合併交渉秘録】富士銀に踏み絵を迫り、興銀を待ち続けた一勧の深謀遠慮』から読む

一勧との2行合併を望んだ興銀と富士
3行統合を必死に説いた一勧

 日本興業銀行は、第一勧業銀行と富士銀行の関係が軋んでいると判断し、一勧に2行統合を打診した。だが、一勧は富士を棄てる気はなく、3行統合を主張した。興銀は容易には折れない。自らの処遇が焦点であるにもかかわらず交渉の外に置かれた富士もまた、一勧との2行合併に固執した。

 前代未聞の大プロジェクトを持ち出した一勧は、興銀と富士の溝をいかに埋め、接着剤の役回りを果たしたか。

 99年3月31日、興銀頭取の西村は、一勧本店に頭取の杉田を訪ねた。西村と杉田が2人きりで話し込むのは、初めてである。