アメリカでは、制作プロダクションが番組の権利を持っている

 アメリカでは、番組を制作するプロダクションが企画を立て、テレビ局に持ち込むのが基本。日本も広く言えば同様の流れだが、アメリカの場合は企画が通るか不明瞭な段階でパイロット版が制作される。制作費をリクープ(回収)できる保証もないまま、放送までこぎつける必要があるのだ。また企画が成立し放送に至った後も、視聴率が悪ければ、突如打ち切りになることも日常茶飯事である。常にリスクと隣り合わせだが、プロダクションは大きなメリットとして番組著作の権利を持つ。交渉次第で有利な権利条件を得られることもあり、権利を持つことによって得られる利益は大きい。ヒットすれば尚更で、さらに世界展開に繋がれば、莫大な利益が見込まれる。

 日本の場合はリスキーなパイロット版を製作プロダクションが企画成立前に自腹で作ることはまずない。と同時に、プロダクションが持ち込んだ企画でも、テレビ局と番組著作の権利を持ち合うことは稀で、通常はテレビ局が番組の著作権を持つことになる。そのため、プロダクションはあくまでも番組を制作する企業として、長らくテレビ局の受注先として存在し続けている。プロダクションはリスクを取らない分、大きな利益を見込むことにはつながりにくいのである。

 この権利システムの違いがテレビ局とプロダクションのパワーバランスを生み出す。アメリカのようなシステムが構築された国では、パワーバランスが均等であるがゆえに、スタジオも世界にネットワークを持つほどの力を持ち、数百億ドル規模の年間売上を計上する。一方、テレビ局にパワーが集中している日本は、テレビ局ばかりが巨大メディア化しているのが現状だ。考えようによってはこのことで日本の広告市場が、かつてはアメリカに次ぐ世界第2位の規模に成長してきたのかもしれない。ただし、広告市場の約3割をテレビの広告収入が占めるという、テレビ時代が長く続きすぎた。2019年にはテレビの広告収入は2兆円を切り、インターネット広告収入に抜かされているわけだが、ネットフリックス日本上陸の2015年はテレビ離れのスピードはまだ遅かった。それゆえ、新参者ネットフリックスが「お手並み拝見」と見られることも理解できないものではなかったのである。