売上げは9兆円に迫り、いまや日本を代表するグローバル企業となった日立製作所。だが13年前には未曾有の危機に陥っていた。リーマンショック後の2009年3月期決算で8000億円に迫る巨額の赤字を計上。その額は国内製造業では過去最大規模だった。
当時社長を務めていた川村隆氏(現名誉会長)は、一から出直す決意で大胆な構造改革を断行する。もちろん、当時グループ全体で社員36万人、子会社943社を抱える巨艦は方向転換するだけでも大ごとであり、まして改革となれば一筋縄ではいかない。川村氏は変革の土壌を整え、そのバトンを中西宏明氏に託した。この継投は成功を収め、ご承知の通り、みごとV字回復を果たす。
この勢いを削ぐことなく、さらなるはずみをつけるために後継者に指名されたのが、現会長兼CEOの東原敏昭氏である。就任するや否や、事業ポートフォリオの再編に取り組み、その大胆不敵な経営手腕は社内外の注目を集めた。そして現在、日立を次なるステージへと導こうとしている。
今回、元マッキンゼー・アンド・カンパニーのディレクターであり、『経営改革大全』(日本経済新聞出版)や『パーパス経営』(東洋経済新報社)などの著者として知られる一橋大学ビジネススクールの名和高司教授に、東原改革の核心を探ってもらった。
2050年に向けた
社会イノベーション
名和高司
TAKASHI NAWA 東京大学法学部卒業後、ハーバード・ビジネス・スクールにてMBA(経営学修士)、ならびに優秀成績者に授与されるベーカースカラーを取得。三菱商事を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。自動車・製造業分野におけるアジア地域ヘッド、ハイテク・通信分野における日本支社ヘッドを歴任。同社ディレクターを経て、2010年より現職。同年から2016年までは、ボストン コンサルティング グループのシニアアドバイザー、現在はファーストリテイリング、味の素、SOMPOホールディングス、NECキャピタルソリューションズの社外取締役を兼ねる。主な著書に『企業変革の教科書』(東洋経済新報社、2018年)、『経営改革大全』(日本経済新聞出版、2020年)、『パーパス経営』(東洋経済新報社、2021年)、『稲盛と永守』(日本経済新聞出版、2021年)がある。
名和(以下青文字):日立が目指す「社会イノベーション事業を通じた社会課題の解決」には、ステークホルダーとの協創、つまりオープンイノベーションによる集合知が必要不可欠です。その一環として、産学連携にも積極的に取り組まれています。たとえば、京都大学との共同研究拠点「日立京大ラボ」は単なる技術領域に留まらず、社会科学、人文科学での協創を進めており、大変興味深い。
そこでは「2050年の社会課題と、その解決に向けた大学と企業の社会価値提言」「人や文化に学ぶ社会システム」という大きく2つのテーマを掲げていますが、私は、特に前者から生まれたプロジェクト「Imagination 5.0」に注目しています。さまざまな社会課題に共通する「人が持つ根源的不安」に着目し、その不安がもたらす新たな危機を脱するためには、みずから主体的に課題と解決策を想像すること、わくわく想像する心を持つこと、つまり好奇心が重要であると提唱されています。
その中間成果を記した『BEYOND SMART LIFE 好奇心が駆動する社会』(日本経済新聞出版)でも指摘されている通り、スマートシティは単に効率的で快適なだけではなく、心豊かな生活につながることが重要だという考えに共感しました。
東原(以下略):名和先生に、そうおっしゃっていただいて嬉しい限りです。Imagination 5.0では、スマート社会へと変化していく過程で想定される課題やその解決に向けたシナリオが主な目的ですが、端的に申し上げれば「2050年の社会課題の探索」です。
日本は、たとえば出生率の低下と少子化による人口減、超高齢社会がもたらす課題、災害大国ゆえのリスクなど、さまざまな社会課題を抱えています。それらは、政府、企業、個人など、すべての人たちに関わるものであり、生命や健康、人権、財産、社会の安寧などを脅かす可能性があります。
取締役代表執行役 執行役会長兼CEO
東原敏昭
TOSHIAKI HIGASHIHARA 1977年、徳島大学工学部電気工学科卒業後、日立製作所入社。1990年、ボストン大学大学院コンピュータサイエンス学科修了。電力システム本部長、情報・通信グループCOO、日立パワーヨーロッパ プレジデント、日立プラントテクノロジー 執行役社長、日立製作所 執行役常務、執行役専務を経て、2014年に取締役 代表執行役 執行役社長兼COO、2016年に取締役 代表執行役 執行役社長兼CEO、2021年より現職。また、電子情報技術産業協会会長(2016~17年)、情報通信ネットワーク産業協会会長(2018~19年)を歴任。
日立京大ラボは、そこから生じる「根源的不安」によって新たな社会課題が生み出される、という仮説を立てました。そこを起点に、さまざまな研究者や学生との議論の結果、私たちが2050年に抱える大きな不安は、「信じるもの」(未来)、「頼るもの」(国家)、「やること」(労働)の3つの喪失がもたらすトリレンマ構造にあると整理し、それを新たな危機「Crisis 5.0」として提言しました(図表「Crisis 5.0:2050年の社会課題の探索」を参照)。
つまり、こういうことです。よりよい明日が訪れると感じられないと、信じるものがなくなる。国家による社会サービスが維持できなくなると、頼るものがなくなる。AIやロボットが人間の仕事を代替することで働く場が失われると、やることがなくなる――。このように、これら3つがなくなると、希望や安心感、アイデンティティをはじめ、人として生きる意味そのものが損なわれかねません。
こうした危機の連鎖を断ち切るには、どうすべきか。ラボで徹底的に議論し、研究を重ねた結果、一人ひとりが「みずから主体的に課題と解決策を想像する」ことが重要であり、そのカギを握るのは「わくわく想像する心」である、という結論に至りました。
私はかねてより、志を見つけるうえで重要な3条件を指摘していまして、その一つが「わくわく」です。ちなみに、残り2つは、自分たちしかできないという意味で「ならでは」、夢を語るだけでなく実現させることを示す「できる」です。