ふたを開けてみれば、パンデミックがオリンピックを契機に広がったという、ハッキリした因果関係も見られませんでしたし、最も心配していた大規模なサイバー攻撃や物理的なテロなどもなく、総合的には大会はうまくいったのではないでしょうか。ただ、東京オリンピックに限らず、オリンピックというものについての再定義が必要になっているのではないかと考えざるを得ない大会でした。

新しい技術や新競技を広める場
オリンピックの真の意義

 オリンピックと言えば本来はもっと華やかな祭典であるわけですが、今回、無観客での開催となって、それが実現できなかったことは残念に思います。オリンピック・パラリンピックはアスリートによるスポーツの祭典であると同時に、昔から観戦者や運営する側が利用するテクノロジーの祭典としても大切な役割を果たしてきました。

 私たちの世代では、1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックの「ロケットマン」がその一例として有名です。開会式会場にロケットベルトを使って降り立つ宇宙飛行士の姿に世界中の人が沸き上がり、私も新しい技術の持つ可能性を感じたものです。

 また最近では、2018年に開催された冬の平昌オリンピックでオフィシャルスポンサーを中心に、VR、5G、IoT、AIや超高精細テレビなどを組み合わせ、スポーツをテーマとしたさまざまな先端技術が展開されました。

 本来なら平昌から約2年たち、東京オリンピックではさらに発展したテクノロジーによる“技術の祭典”が楽しめるはずだったのですが、それは叶いませんでした。たとえばNTTは、5G通信網を使って高精度画像を遠隔地に送信することで、新たな観戦体験をアピールする予定でした。パブリックビューイングをはじめ、セーリング(ヨット)競技を船やドローンから撮影し、臨場感あふれる超ワイド映像で観戦できる仕組みや、ゴルフで他ホールや複数の選手の様子を手元のデバイスで一括してリアルタイムで観戦できる仕組みなどを用意していましたが、どの競技も選手関係者以外ほぼ無観客となったため、体験できた人はごくわずかとなりました。

 競技そのものについては、今まで私が知らなかった新競技がいくつも登場し、たとえばスケートボードや、自転車のBMXなどの観戦では大いに楽しませてもらいました。また自転車でも、ロードレースなどは以前からあった競技ですが、長時間ネット経由で観戦しました。特に女子ロードレースは、各国チームがエース選手を勝たせるためにグループによる総力戦を行っていたのに対し、単独参加したオーストリアの数学研究者が優勝するという、ものすごく面白いレース展開で見入ってしまいました。