超人スポーツ協会では「すべての参加者がスポーツを楽しめる」「スポーツが技術とともに進化し続ける」「すべての観戦者がスポーツを楽しめる」という「超人スポーツ三原則」を定義し、新しいスポーツへの取り組みを進めています。この三原則を満たすために協会では、身体拡張や道具・フィールドの拡張、プレーヤー層やトレーニング、観戦の拡張を行うとしています。
現在eスポーツと呼ばれているものは、この超人スポーツの一部にあたるかもしれません。また、現地へ行かなくてもスポーツ観戦が楽しめる観戦の拡張や、異なる時間・場所で競技に参加できるフィールドの拡張などは、パンデミックにおける密を避けるためにも有効で、すでに一部が取り入れられつつあります。
観戦・フィールド拡張の考え方に基づけば、オリンピックも2週間の期間集中型ではなく、1カ月など、余裕を持ったスケジュールが可能になります。場所についても、世界中での分散開催というかたちをとってもよくなるかもしれません。稲見教授が提唱する超人スポーツの考え方は、今後のスポーツやオリンピックにも、もっと取り入れられてよいものなのではないかと思います。
オリンピックとパラリンピックの
境界はあいまいに
このように考えてくると、オリンピックとパラリンピックが果たして今後も別々の大会であり続ける必要があるのか、という話にも広げられるかもしれません。
実際、東京2020パラリンピック大会でも、義足ジャンパーのマルクス・レーム選手が陸上男子走り幅跳びでオリンピック記録を超えるのではないかと期待されていました。今大会では実現しませんでしたが、そうしたことは起きても構わないのではないでしょうか。
生身の肉体であっても、お金をかけて肉体改造やトレーニングを行える富を持つ人が有利で、富裕層しか上位に残らないスポーツはすでにあります。そう考えれば、生身でさえあれば中立で公平と言えるのかどうかには、疑問が残ります。
それに、薬物によるドーピングでなくてもトレーニングで体を酷使し過ぎて、引退した後に必ずしも健康でなくなる選手も、今のスポーツ界には多く見受けられます。人間の生身の肉体を拡張するということと、機械を使って身体拡張するということの間に、哲学的にどれほどの差があるのかについては、真剣に考えてみなければならないと思います。