心理学者が警鐘する
アスリートの精神衛生と過酷な実情

 退役軍人のサポートを行うイギリスの組織「ヘルプ・フォー・ヒーローズ(Help for Heroes)」に所属し、「見えない傷(Hidden Wounds)」部門での活動に従事する心理学者コリン・プリース氏(英国心理学会アソシエイト・フェロー)は、過去に英国代表の射撃チーム、水泳チーム、パラリンピックチームなどと帯同した経験を通じ、トップアスリートに対する社会的プレッシャーがいかに苛酷なものか、よく理解しています。特に、昨今のコロナ禍のような極度の緊張状態においては、その重圧は想像を絶するレベルに達しているとのこと。

「競技そのものをチャレンジと捉えるか? 苦難と捉えるか? それは個々によって異なります。アスリートに限らず、現代社会を生きる私たちに降り掛かるプレッシャーは、そもそもとても大きいのです。そこにコロナ禍が起きたことで、重圧がさらに増しています。大規模のスポーツイベントともなれば、ストレスやプレッシャーのレベルは高まるばかりです。アスリートを取り巻く状況は、『私たちの社会の在り様を、そのまま反映している』と言えるでしょう。彼らが声を上げはじめたのは、良い兆候です。メンタルヘルスはオープンに議論されるべき課題であり、私たちの誰もがその議論から恩恵を受けることになるのです」と、プリース氏は述べています。

「現代のスポーツを取り巻く環境は常に変化しており、そのような世界に身を置くアスリートたちがメンタルヘルスについてオープンに語り始めたのは理に適った反応である」、というのがプリース氏の意見です。

「競技スポーツの性質そのものが、毎年のように変化し続けているのです。ソーシャルメディアが拡大し、世界規模のテレビ放送が行われ、また一部のスポーツには莫大な資金が投じられ、このような物事のすべてが重圧として選手たちを圧し潰そうとするのです。メンタルヘルスの問題は目に見えず、そのため認識されにくいものですが、常に存在しています。過去を振り返れば、この問題に苦しめられつつもサポートを得ることのできなかったスポーツ選手が少なからず存在していたことに気づかされるでしょう」と、プリース氏。

根強く存在する、
アスリートのメンタルヘルス問題の軽視

 そのような状況を無視するかのように、「高額な報酬を手にするスポーツ選手は、いかなる状況においてもプレーすべきだ」とか、「競技にストレスは付き物なのだから、甘んじて我慢すべき」などという憂慮(ゆうりょ)すべき風潮が未だ根強くあるのも事実です。さらには、「ストレスなど精神衛生上の深刻な問題ではない」という考え方まである始末です。

 リーズ・ユナイテッドFCでプレイしていた元サッカー選手のダニー・ミルズは、「もし人々から疑念を抱かれることで、メンタルヘルスに深刻な影響が及ぶなどと言いたいのであれば、それは本当に深刻なメンタルヘルスの問題を抱える人々に対する侮辱になりはしないか?」と、タイロン・ミングスを非難しました。

同業者からも非難を受ける
メンタルヘルスの重要性を訴えるアスリートたち

 何が“本当の”メンタルヘルスの問題であり、何がそうでないのか? そのように区別しようとすること自体が馬鹿げています。もし大きな精神的重圧を感じているというアスリートがいるのなら、いかなる診断結果が出るにせよ、それは対処されなければならない問題なのです。そのような精神状態を無視しようとすれば、さらに大きな問題が引き起こされることとなるでしょう。

「ついに、助けを求めて手を上げざるを得ないほどの精神状態に追い込まれてしまったのです」。水泳とトライアスロンで2度のパラリンピックに出場を果たしたデヴィッド・ヒルは、少なくともそのように考えています。

水泳とトライアスロンで2度のパラリンピックに出場を果たしたデヴィッド・ヒル水泳とトライアスロンで2度のパラリンピックに出場を果たしたデヴィッド・ヒル  GETTY IMAGES

 彼は消耗の激しかった2012年の後、自分の精神状態を無視し続けたことによって、ストレスを限界まで溜め込んだ苦い経験があるそうです。「2016年のリオ・パラリンピックの出場を目指していたのですが、ついに助けを求めて手を上げざるを得ないほどの精神状態に追い込まれてしまいました。選考レースなどで思うような結果を得られなかったときなどは、世界が崩れ落ちていくような感覚に襲われました。アスリートであることが自分のアイデンティティの全てになってしまうのです。スポーツの世界では“より速く、より高く、より強く”という姿勢が常に求められ、休養や労(いたわ)り、内省など、本来必要とされる物事が無視されてしまいがちなのです」。