岸田首相に任せると起きそうで心配な
福祉国家と新自由主義の「悪いとこどり」

 雑誌への寄稿などを見ると、岸田首相の認識では、資本主義は福祉国家、新自由主義といった環境適応的な変化を経て、現在、新自由主義の問題点が顕在化しており、これを修正するのが「新しい資本主義」だ、ということらしい。しかし、岸田首相に任せておくと、福祉国家と新自由主義のそれぞれのメリット部分を選んで捨てる組み合わせになりそうで心配だ。

 例えば、低所得な勤労者を救うためには、賃上げができる企業に補助金を出すのではなく、個人に直接公的な補助を行うべきだろう。岸田流の経済対策は、出だしからこじれている。

 日本の経済は、これまでも現在も全く新自由主義的でなどない。郵政民営化は途中で頓挫し、電波オークションも行われず、正社員の解雇ができないような経済運営のどこが新自由主義なのだろうか。

 小さな規制緩和にも大騒ぎする、停滞した縁故主義的社会が日本の実情だ。2世、3世だらけの政治家の顔触れは、その象徴だ。日本にあって、資本主義は借り物の仮面にすぎない。

 一方、国民の一人一人の自由な選択を尊重して、市場を広範に活用する経済運営を新自由主義と呼ぶなら、新自由主義を活用するためには強力な経済的セーフティーネットによる補完が必要だ。

米国の欠点を反面教師とするなら
「新しい資本主義」にも意味があるが…

 現代の米国のような経済運営は、人の能力とその成果による経済資源の配分を肯定する「能力主義的資本主義」と呼びたくなる種類のものだ。このシステムはビジネスの活性化やイノベーションの誘発には向いている。ただ他方で、先天的な能力や家庭の経済力の差、さらに競争の過程での勝敗など、「運・不運」の影響が大きい。また、経済力の格差拡大を推進するいくつかの要因がある。

 各種の経済的「不運」に対しては、大きな「社会的な保険」が必要である。

 現在の米国にはそれがないので、この点を反面教師とするなら「新しい資本主義」というキャッチフレーズにも少しは意味があるだろう。一方、能力主義的な自由競争には、経済成長に向けた活力があることを忘れてはならない。

 残念ながら今の日本には、自由競争と充実したセーフティーネットの両方がない。経済が停滞し、社会がギスギスするのはもっともだ。