「見える化」とのつきあい方
オペレーションにおける「見える化」の重要性に異論はない。戦略的意思決定にしても、ある局面では、定量的手法や収益性の評価手法が有効になる。ただし「見える化」という思考は、「見えすぎ化」の危険と隣り合わせであるということを忘れてはならない。これが前回の主張だった。
「見えすぎちゃって困るの」にならないためにはどうしたらいいか。「見える化」とどうつきあうべきか。少なくとも次の4つの区別が大切ではないかと僕は考える。
第1に、「見える化」の結果として出てくる数字のレビューと、「見える化システム」そのもののレビューを区別する。「見える化」で日々の結果をレビューするだけではなく、システムそのものを定期的にレビューする必要がある。高度なITが利用可能になると、「見える化」したくなる項目はどんどん増え、範囲は広がり、測定も精緻化してくる。「見える化」を推し進めるだけではなく、たとえば年に一度は「ここまで見える化して意味があるのか?」とか「こういう項目はもう測らなくてもよいのではないか?」とか「これは何のために測っているのか?」といったレビューをした方がよい。やっているうちに経験とノウハウが蓄積され、「見える化」する対象がどんどん絞り込まれ、出てくる数字の種類が自然と減っていく。何でもかんでも「見える化」するよりも、こちらの方がずっと優れた経営だと思う。
第2に、戦略とオペレーションを区別する。すでに触れたように、一般的に言って、定型的なオペレーションでは「見える化」は有効だが、それに寄りかかってしまうと戦略やイノベーション能力を殺してしまう。まずはいま問題になっているイシューについて、それが戦略レベルにあるのか、オペレーションのレベルにあるのか、この区別をはっきりつけることが大切だ。組織には「日常業務は戦略業務を駆逐する」という抜きがたい性癖がある。両者を常に意識的に区別しておかないと、本来は戦略的な経営イシューが従来の延長線上にあるオペレーションの問題にすり替わり、「見えすぎ化」の罠にはまる。
第3に、経営者と担当者を区別する。戦略スタッフや財務のスペシャリストや外部のコンサルタントがリアルオプションの手法をバリバリ使って投資収益性の評価レポートをトップに提出する。しかし、彼らはあくまでも担当者であって経営者ではない。担当者がさまざまな手法を駆使して「見える化」するにしても、経営者は担当者に依存してはならない。経営者としての付加価値が問われる。