小宮山悟が母校野球部を「奇跡の優勝」に導いても、いたって冷静だった理由2022年1月5日、東伏見稲荷神社を参拝する早稲田大学野球部員たち 撮影:須藤靖貴

プロ野球現役時代に117勝を挙げ、MLBのニューヨーク・メッツでもプレーした名投手・小宮山悟。彼が母校・早稲田大学野球部の監督に就いたのは2019年1月だ。スローガン「早稲田大学野球部を正しい姿に戻す」を掲げてチームづくりに取り組み、20年秋に悲願の優勝を果たすことになる。早朝から夜までグラウンドに詰めて、じっと部員たちを観察する。能力とやる気を見抜き、最善のタイミングでアドバイスする。まさにチームビルディングである。(作家 須藤靖貴)

「今までの人生で一番感動しました」
就任2年目で「奇跡の優勝」

 正確無比なコントロールと緻密な配球術を武器に、プロ野球現役時代に117勝を挙げ、MLB(メジャーリーグ)のニューヨーク・メッツでもプレーした名投手・小宮山悟。彼が母校・早稲田大学野球部の監督に就いたのは、2019年の1月だった。

 22年の今年、純白のユニホームに腕を通して4年目を迎えることになる。

「小宮山・早稲田」の東京六大学リーグ戦を振り返れば、19年は春秋ともに3位、コロナ禍で揺れた20年は春3位、秋は優勝。そして21年は春5位、秋2位だった。

 注目された新人指揮官の采配として、2年目の秋に最上の成果を上げた。

 勝ったほうが優勝というライバル慶応との決戦に劇的な逆転勝利。勝利監督インタビューでは「今日の試合が今までの人生で一番感動しました」と興奮を隠さず、優勝を奇跡と表現し、慶応の選手の素晴らしい健闘をたたえた。そして、小宮山が師と仰ぐ石井連藏(※)氏の野球殿堂入りを果たした年でもあり、「石井さんの墓前に、いい報告ができます」と右手で目頭を押さえ、声を詰まらせた。

「早稲田大学野球部を正しい姿に戻す」

 監督就任時に掲げたスローガンである。

 取り組んできた名門のチームビルディングは「奇跡の優勝」で実を成したのだろうか。2020年11月8日(日)。早稲田の杜もとっぷりと暮れていた。

※石井連藏 いしい・れんぞう(1932~2015)
水戸一高から早大へ進み、野球部入部。在籍時に東京六大学リーグ戦で優勝3回。4年時に主将、投手で4番打者。首位打者となる。1958~63年、88~94年と2期にわたり野球部監督を務め、「鬼の連藏」と言われるほどの猛練習で部員を鍛え上げてリーグ戦優勝4回、全日本大学野球選手権優勝1回。小宮山は2浪して入学したが、そのおかげで3年時より石井の2期目の監督就任と重なり、大いなる薫陶を受けることとなった。

「そんなチームにはまだまだ育っていない」
胴上げされても小宮山監督の頭は冷えていた

 小宮山悟の体が宙を舞う。

 ユニホームに監督ナンバー「30」を背負って4シーズン目の歓喜である。