この公正なマネジメントは有効であることがわかり、事業からの収益が増えるにつれ、オーエンは作業環境を変え始めた。救貧院からの受け入れは停止していたので、児童の雇用は徐々に減り、依然として雇われていた児童はニューラナークの特設学校に通わせた。従業員用の住まいは徐々に改善され、周りにはジンを売る飲み屋もなくなったし、犯罪も減少した。世界初の大人のための夜間学校もニューラナークに開校された。オーエンは最終的にはニューラナークに店を開いたが、この背後にあった基本方針は後の小売協同組合運動の布石となった。

●革新者オーエン
 だがオーエンの革新は従業員のための作業条件改善にとどまらなかった。1700年代の半ばから終わりにかけて始まった産業革命は機械至上主義をもたらしたが、オーエンは仕事に人間性を与えることに努め、この風潮に対抗した。

 彼は他の工場主に向けて、次のように書いている。「あなたがたの多くは、ものづくりの長い経験を通じて、高価で、工夫をこらし、精妙に作られた機械が大きな利益を生み出すことを知っているだろう。ならば、生命のない機械をそれほど有益な結果を生み出せるようにするのと同じぐらいの注意を、機械よりもはるかに素晴らしい構造を持っている生ある機械(人的資源)に対して払うなら、いかなることが期待されえないだろうか」

 先に述べたように、オーエンは従業員に命令するのではなく「マネジメント」し、自分の考えを他人に強制するのではなく同意を得ようと努めた最初の人物の一人だった。作業者がオーエンに同意しなかったからといって解雇されることはなかった。さらに、彼はマネジャーたちにある程度の自主性を持って行動するよう要求し(おそらく仕事におけるエンパワーメントの最初の例である)、マネジャーはオーエンが不在でも機能するように、細心の注意を払って選出され訓練された。

 オーエンはモチベーションと規律のために、「口をきかぬモニター」システムという方策を開発した。これは、現在実施されている評価の仕組みの遠い先祖と表現することができるだろう。工場内の各機械の上には、表面に黒、青、黄、白という違う色が塗られた木片が備えつけられていた。毎日、監督者が部下の仕事を評価して、評価を示す色の面が通路側に向くように木片を置き、全員の評価を誰もが見ることができるようにした。この仕組みの目的は、成果の良い者は報奨し、怠け者には改善を動機づけることであった。

●改革家オーエン
 ニューラナークの工場は投下資本の50%以上という目覚ましい利益を上げ、オーエンはこれを自身の理論の妥当性と重要性を証明するものだと考えた。収益性に後押しされ、彼は他の工場主に雇用慣行において彼の手本に従うよう説得を試みた。これは最初ニューラナークを訪れた有力者を通じて試みられ(推定によれば1815年から1825年の訪問者は2万人だったとされる)、その後、1815年には、工場における基本的な作業条件に関する法案の提出によって試みられた。