実際、私がニューヨーク・フィルハーモニックで勉強させていただいた頃にお会いしたジャーナリストの方は、先輩からシェイクスピア全集とベートーヴェン交響曲全集を渡され、「このくらいわかっていないと、ウォールストリートのトップから本音は聞き出せないぞ」と言われたそうです。

 また、あるメーカー幹部の方もイギリス・ロンドンに赴任された際は、オペラやバレエ観劇を兼ねた接待の席が非常に多かったとか。ビジネス相手とともに夫人も一緒に、劇場附設や近隣のレストランで夕食を共にし、オペラを観劇。幕間にはデザートやカクテルを楽しみながら、お相手とその日の演目やビジネスの話をして交流を深められたようです。普段でも、「土日はどう過ごしている?」などと取引先から尋ねられ、「たまにオペラに行くよ」と言うと、「何が好きだい?」と問われて「プッチーニのオペラは好きだ。月並みだが『トスカ』のアリア(独唱)はどの歌手が歌っても心にしみる」……といったやりとりで、相手との距離が縮まったことがあったと仰っていました。

 最初の一歩はもちろん、さらに深く相手と付き合いビジネスを進めていくうえで、教養が求められ、信頼に繋がっていくのだと思います。

 ここで簡単に自己紹介させていただくと、私は東京フィルハーモニー交響楽団という日本最古のオーケストラで、主に企業や国から相談を受けて演奏会の企画・広報を行っています。大学では音楽学部ピアノ・オルガン学科で学びましたが、ピアニストでもなく研究者でもありません。

 30歳になって間もない頃、「本当の先進国は、経済大国であり文化大国でもある。この両輪で回っている」という東京フィルの元役員であり政治評論家の竹村健一さんの言葉に感化された私は、文化大国を目指すならば、アートマネジメントをする側も、もっと日本の経済・社会構造を知らなければならないと考えました。そしてクラシック音楽界をいったん飛び出し、音楽とは縁のない事業会社で働いた後、再び古巣に戻ってきました。

 その“武者修行”の間に私はあらためて、音楽の世界でいかに多くの人と繋がっていたのか痛感しました。コンサートの場というのは、社交の場であり、業種や国を超えてあらゆる人が集まります。音楽を媒介に人と人とが出会う場で、同じ曲を聴き感動を共有するというのは、とても大きなコミュニケーションのひとつです。