世界有数のビール会社を目指した
キリンの挑戦とシェア奪還の歴史

 第2次世界大戦の終了後から1990年ごろまで、経済成長によってわが国のビール市場は拡大した。50年代半ばのビール市場ではキリン、アサヒ、サッポロがほぼ3分の1ずつのシェアを分け合った。その後、キリンはラガービールによって業績を拡大。70年代前半から80年代前半まで、キリンのシェアは60%を超え、高収益を実現した。

 その状況を大きく変えたのが、アサヒが投入したスーパードライだ。スーパードライが生み出されるまで、「コクとキレの両立は難しい」との見方がビール業界の定説だったようだ。アサヒは困難に挑戦し、スーパードライを生み出した。

 87年のスーパードライ発売以降、新しいビール体験がヒットしてアサヒの国内ビール市場シェアが拡大した。96年にはスーパードライが国内ナンバーワン・ブランドの座を手にし、2001年にはアサヒがキリンから国内ビールと発泡酒トップの座を奪った。

 トップを奪われたキリンは、発泡酒の「淡麗」や酎ハイの「氷結」を投入して国内のシェア奪還に取り組んだ。2000年代に入ると、海外事業を強化。07年にはオーストラリアの乳製品・飲料メーカーであるナショナルフーズを買収した。同時期、国内では協和発酵を買収している。

 09年には、実現はしなかったが、サントリーホールディングスとの経営統合も検討していた。当時、ベルギーのインベブが米アンハイザー・ブッシュを買収するなど、世界のビール業界の再編が加速した。キリンは世界大手ビール・飲料メーカーへの仲間入りを目指して、アジアや南米など中長期的な成長が見込める地域を中心に海外事業を強化した。