10月に入ると「どくいり きけん」のタイプで打ったシールが貼られた森永製品が京都、大阪、兵庫、愛知のスーパーで発見されている。実際に犯人グループは、その脅しを実行に移すことができることを示したのである。その後も名古屋のスーパーや大阪の茨木市のスーパーで「どくいり」シールを貼った森永製品が発見されている。

 森永製菓もまたスーパーの店頭から引きあげることになった。

 この段階(昭和59年10月)で、捜査本部は江崎グリコと森永製菓に現金の受け渡しを要求した犯人グループの声を公開している。これは女性と男児であったところから、捜査本部には情報が殺到している。次いで、あるスーパーの防犯カメラがとらえた不審な男性の写真を公開した。いわゆる「キツネ目の男」といわれる写真で、これにもまた多くの情報が寄せられたというのだ。

 その後も、かい人21面相からの脅迫状が食品会社に届いている。当時の新聞報道によれば、東京のスーパー、森永乳業、ハウス食品工業(現ハウス食品)、不二家製菓などに脅迫状が届いたというのだ。114号事件、キツネ目の男、それに困惑する警察幹部、それをからかうように犯人グループの挑戦状はなおも送りつけられた。12月には、「兵ご県の あるところで ある会社から 1億 とったで」という挑戦状が大阪府警本部に届き、「正月くらい ゆっくり せいよ」とからかったというのである。

 こうした挑戦状は大体がメディアに送りつけられるので、メディアの側は競って報道もしている。その一方で企業への脅迫状は、密かにというのだから、現代社会の弱点を巧みについた犯罪だともいえた。この間、捜査当局は、犯人グループを追いつめるところまで捜査を進めたといわれているが、結局は犯人グループのひとりをも逮捕できなかった。

 昭和60年2月ごろには、マスコミにあてた挑戦状のなかで、「国会ぎいんの みなさん え」と題する嘲笑的な一文をも送りつづけた。

 そしてグリコ事件から1年5カ月後の昭和60年8月12日に、マスコミにあてて25通目の挑戦状を送っている。これも「国会ぎいんの みなさん え」と題していたが、「わしら みたいな 悪 ほっとったら あかんで まねする あほ まだ ぎょおさん おる」「くいもんの 会社 いびるの もお やめや このあと きょおはく するもん にせもんや」とあり、その最後は「悪党人生 おもろいで かい人21面相」となっていた。実際に、これ以後は犯人グループからの挑戦状は途絶えてしまったというのである。いわば114号事件は犯人グループが一方的に幕をおろしたということになるだろう。

 思えば奇妙な事件だった。犯人グループは表面上は利益を得ていないのである。裏側では犯人グループとの取り引きに応じた企業もあるといわれているが、正確にはわかっていない。ではこの犯罪を単に「劇場犯罪」と名づけていいのだろうか。何が目的の犯罪だったのか。