すがるように涙を流す部員の表情を見て、心から悔いていると小宮山は思った。その半数がベンチ入りできる部員だ。だが簡単に首を縦に振るわけにはいかない。勝ち負け以前の問題だ。「早稲田野球部を正しい姿に戻す」どころか、大きく別の方向へそれている。

 坊主頭を見下ろしながら、小宮山はこうも考えた。

「もし足を滑らせなかったら……。川遊びの件は自分の耳には入らなかった。そんな部員をベンチに入れて秋季リーグを戦ったとしたら、チームが足元をすくわれている。きっと……安部磯雄先生、飛田先生が知らせてくれたのだ」

 球界きっての理論派と称される小宮山だが、情の厚さも誰もが認めるところである。

「許してくれるかどうか、4年生に聞いてみろ」

 そして。肩をすくめる坊主頭たちを、4年生は許したのである。

 当該部員のペナルティは謹慎2週間。当然、その後に続くオープン戦には参加できない。ただし、グラウンドでの練習は許可した。彼らは「死に物ぐるいでやります」と口をそろえた。

 以降の強豪校とのオープン戦は7勝1敗。亜細亜大に3‐4と敗れたものの、緊密な試合をしっかりと乗り切る。カミナリの効果はあった。

「全員、辞めろ!」早大・小宮山監督が就任以来最大のカミナリを落としたワケ早稲田大戸塚キャンパスにもある安部磯雄(左)・飛田穂洲(右)の胸像 撮影:須藤靖貴

※ 安部磯雄(あべ・いそお)(1865~1949) 
福岡県出身。同志社英学校、ハートフォード神学校卒。早稲田大の前身である東京専門学校の講師となり、1901年に野球部創部。早稲田野球の生みの親である。1905年にチームを渡米させ、日本野球の発展に寄与した。東京六大学野球連盟初代会長、日本学生野球協会初代会長を歴任。1959年に創設された野球殿堂入り。東伏見の安部寮の玄関前には石碑が立ち、安部球場のネット裏には安部磯雄・飛田穂洲両氏の胸像がある。ここを通る関係者は必ず一礼する。

秋季リーグ開幕
2年生はベンチ入りできず

 そして秋季リーグ戦が開幕。

 謹慎期間を過ぎたものの、その2年生たちはベンチ入りすることはなかった。