安全保証、社会的承認、且つ歓待

内田:そうです。でも、教員養成課程で「教師自身に嗜虐的傾向があること」のリスクについてはたぶん問題にされていないと思う。若い教師志望の大学生に向かって、「きみたちは生徒にとって非常に危険な存在になり得る」ということを教える必要があると僕は思います。教師は目に見えない刃物のようなものを持って教壇に立っている。その危険性を教師自身にまず自覚してもらうことがたいせつだと思う。教科をうまく教えるとか、進学成績を上げることよりも、「子どもたちを絶対に傷つけない」こと、それが教師の使命としては最優先されるべきなんです。

 教師の第一の仕事は子どもたちに向かって、「君たちはここにいる限り安全だ」と保証することです。「ここは君たちのための場所だ。だから、君たちはここにいる権利がある。君たちがここにいることを私は歓待する」と子どもに向けて誓言すること。子どもたちに安全を保証し、承認を与え、歓待し、祝福する。それができる人なら、教え方がどんなに下手だって、僕は構わないと思うんです。

岩田健太郎岩田健太郎さん(c)水野真澄

岩田:大人社会もまったく同様で、僕もとても気をつけていることに重なります。僕自身、この五年ぐらい若い研修医や学生を教える立場にいますから。

 どうしても爪弾きにされちゃう人がときどき出てくるんです。そういう人って僕から見ても、カチンとくるようなことを結構言っちゃうんですよ。でも、そのときに踏みとどまる。カチンとくるのを自制して、その人の側に立つように自分に言い聞かせています。僕だって、感情のままに流されれば「なんだよ、お前は」となりますよ。それでも「こいつは仲間はずれにしてもいい」という集団の雰囲気には頑として抗い、その人をサポートしなければいけない。周囲に「抗う」のはかなり難しいんですけど、意識してやっています。そうしなければ、いじめにつながり排除が生まれ、ひいてはチーム全体のレベルが落ちてしまいますから。

 ソーシャルメディアも同様です。ツイッターなどの炎上騒動を見ても、集団のノリに抗わないタイプの人は、誰かが「こいつは叩いていい」という犬笛を吹くと一緒になって攻撃を始めちゃう。それが集団になると、ますます堂々と人を傷つける。