佐藤 「両利きの経営」の出版以来、オライリー教授の提唱する「既存事業の深化と新規事業の探索を同時に行う経営手法」は多くの日本企業に取り入れられ、経営のスタンダードになりつつあります。新型コロナウイルスの感染拡大は、こうした企業における「両利きの経営」の推進にどのような影響を与えたと思いますか。

チャールズ・オライリー教授チャールズ・オライリー教授 写真:本人提供

オライリー パンデミックは、明らかに企業に変革やイノベーションを加速させるきっかけをもたらしたと思います。大企業の中には、これを機に「両利きの経営」をさらに加速させている企業もあります。自社はもう変われないと思っていたが、必要に迫られるとこれほど自社は変われるのかと実感し、変革に前向きになった経営者や社員がたくさん出てきたからです。

 もちろんパンデミック下で業績が悪化した企業も数多くありますが、これらの企業が「両利きの経営」の実践を完全にストップさせたかといえば、そうでもないのです。大規模な投資は控えても、新規ビジネス創出への投資はやめていません。

イノベーションが
「着想」で終わっている

佐藤 日本では2022年6月24日に「両利きの経営」(増補改訂版)が新たに出版されました。今回、増補改訂版を出版しようと思った動機は何ですか。

オライリー 16年に「両利きの経営」を出版した後、日本とヨーロッパでさらに研究を進めたところ二つの重要な発見があり、これらをぜひとも書き加えたいと思ったからです。

 まず一つめの発見は、何をどこまで実現すれば本当にイノベーションを創出したといえるのかを、多くの経営者や管理職が明確に理解していない点です。彼らが「イノベーション」という言葉を使うとき、それはほとんどの場合「アイデアを着想すること」を意味します。

 つまり、「社内からイノベーションを起こすには、とにかく社員に新しいアイデアをたくさん提案してもらわなくてはならない」「新規ビジネスのアイデアがたくさん出てくれば、革新的な会社になれる」と思い込んでいるのです。

 例えば、18年にある日本の大企業を調査したときのことです。この会社は「デザイン・シンキング」に多くのリソースを割いていて、新規事業開発部門の担当者は「このプロジェクトから新規ビジネスや新製品のアイデアが400以上も生まれたんですよ」と誇らしげに語ってくれました。

 ところが実際、アイデアを思いつくだけでは、イノベーションは生まれません。私たちの理論によれば、イノベーションには「着想」(アイディエーション)→「育成」(インキュベーション)→「規模の拡大」(スケーリング)の三つのフェーズがあり、この三つ全てを実現して初めてイノベーションを創出したことになるのです。

 私が担当者に、「ではその400のうち、いくつ市場に出し、いくつ事業化したのですか」と聞くと、口ごもってしまいました。つまりこの会社のイノベーションは、三つのフェーズのうちの「着想」で終わっていて、「育成」「規模の拡大」までたどりついていなかったのです。