日本企業の不都合な真実―
見えない価値が見える化されていない

 企業価値とESGの関係を測定するための裏付けとなる理論として、筆者が「柳モデル」の基にしているのは「PBR(株価純資産倍率)仮説」である。

 PBRは、企業の時価総額が会計上の簿価純資産の何倍になっているかを示す倍率である(時価総額÷簿価純資産)。これが1倍だと時価総額=簿価純資産となり、資本市場は企業の現在の財務の価値だけを評価していることになる。

 しかしながら、PBRが1倍を超えてくると、その付加価値は現在の財務諸表に掲載されていない将来の正の超過利益、すなわち将来の財務資本を織り込んでいることになる。

 そして、その「将来の財務資本は、現在の非財務資本(人的資本、知的資本や自然資本等)、つまり広義のESGの価値と関連している」と想定できる。筆者はこれを「PBR仮説」として、「柳モデル」の前提としている。

 ここで、まず、日本企業の不都合な真実として、図表1をご覧いただきたい。

 図表1では、縦軸にPBR(株価純資産倍率)、横軸に時間軸を取り、日米英のPBRの長期的傾向を掲載している。

 一番下の最も色の濃い層が、PBRが1倍の部分であり、企業の簿価純資産、いわゆる「会計上の価値」を示す。

 そのPBR1倍を超える部分が非財務資本、ESGの価値と関係する「見えない価値」あるいは「自己創設のれん」と筆者は想定する。

 長期的なPBRのトレンドでは、米国平均は近年3~4倍くらい、英国平均は2倍程度(先進国平均も概ね2倍前後)、日本は1倍から1.5倍の間をさまよっている。

 これは、日本経済の実力からいって、「不都合な真実」ではないだろうか。

 もちろん市場は、特に短期的な株価は間違うものだが、10年~20年間の傾向値としてPBRが1倍を大きく超えないというのは、明らかに日本企業にとって不都合な真実だと筆者は考える。これほど熱心にESG経営に努めている日本企業の潜在的なESG価値が顕在化せず、長期的に見ても市場からほとんど認められていないということになるからだ。

 企業側が「いや、当社の見えない価値は会計上の簿価の数倍あるから、本来、PBRは例えば5倍~10倍が当然だ」と思っていても、市場は現状、多くの日本企業のESG価値をほぼゼロとみている。

 企業側が言うほどESGの価値がないのか。開示不足、対話不足のために世界の投資家が理解してくれないのか。いずれにしても、ESGの価値は日本企業の企業価値評価に十分には反映されていない。

 では、実際に上場企業の「見えない価値」の評価者ともいえる資本市場(投資家)の声を聞いてみよう。

日本企業の非財務資本とその開示を
投資家はどう思っているか

 筆者は2007年から2022年まで、世界の機関投資家サーベイを継続的に実施しており、近年は日本企業のESGについても継続的に質問をしている。本稿では2016年から最新の2022年グローバル投資家サーベイ※2 までのアンケート調査から、日本企業のESG経営と企業価値に係る資本市場の視座を紹介する※3

 筆者は、外資系証券のガバナンス担当あるいはメーカーのCFOとして、年間200件ペースで投資家面談を行ってきた(2007年から2022年で累計約3000件)が、日本企業のESGについては次のような海外投資家の声を頻繁に耳にした。

 “ESG for ESG is nothing. We need ESG for value creation. Japanese company's ESG is sometime excuse to hide from low ROE and low PBR.”

(ESGのためのESGでは意味がない。我々が必要としているのは価値創造のためのESGだ。時に日本企業のESGは低ROEや低PBRの隠れみのになっているのではないか)

 これは厳しい意見だが、やはり上場企業は社会的価値と経済的価値の持続的な両立を目指すべきであり、重要な示唆に富むコメントだと感じていた。

  そこで、筆者は「日本企業のESG(非財務資本)および統合報告によるその開示についてはどう考えるか」について2016年から世界の投資家に継続的に尋ねてきた。その結果を図表2にお示しする。

(設問)日本企業のESG(非財務資本)の価値とバリュエーション(PBR)の長期的関係についてはどうお考えですか?

 A. 無条件でESGに注力して積極開示すべきである

 B. ROE(財務情報)より優先してESGを開示して説明してほしい(非財務>財務)

 C. ROE(財務情報)とESGを両立して価値関連性を示してほしい(非財務&財務)

 D. (日本は周回遅れなので)まずは財務情報を優先して記述すべき(非財務<財務)

 E. (ESGや非財務情報の開示は)重要とは思わない

 回答者の圧倒的多数が「ESGと企業価値(財務情報)の関連性を示してほしい」と一貫して希望している。社会的価値と経済的価値の両立、いわば渋沢栄一が提唱した「論語と算盤」を機関投資家は求めている。2022年の調査では、86%の投資家がESGと企業価値の証明を要請している。

 一方、投資家の「日本企業は周回遅れなのでESGよりもROEをまず優先すべき」「ESGは重要でない」という意見は、2016年には25%近くあったが、近年はESG投資の普及もあってか、ともに急減していることは示唆に富む。今やESGを重視しない長期投資家はほとんどいないと言ってよいだろう。

 特に、日本企業には「曖昧なきれい事」ではなく、ESGの定量化、価値関連性が求められているが、柳(2021b)では「柳モデル」による重回帰分析やインパクト加重会計(IWA)事例を紹介している※4

※2 世界の機関投資家サーベイの過年度分はYanagi(2018)、柳(2021b)を参照。2022年調査は柳(2022)による。2022年サーベイの調査期間は2022年2月9日~4月14日。回答者は日系投資家52人、外資系投資家45人、合計97人(無効回答を除く)で、回答者の所属機関の日本株投資総額は約100兆円(2022年3月現在の数値で推計)。
 
※3 本稿で紹介するサーベイに参加した毎年の投資家数は、2016年183人、2017年139人、2018年141人、2019年181人、2020年144人、2021年140人、2022年97人である。

※4 「エーザイ価値創造レポート2021」ではエーザイの事例を開示している。「柳モデル」に依拠したエーザイの回帰分析(協力:アビームコンサルティング)では人件費、女性管理職比率、研究開発費などが5~10年程度遅延してPBRを高める正の相関が示唆された。また、IWAの日本第1号のハーバード・ビジネススクールと筆者の共同研究である「エーザイの従業員インパクト会計」は、英国政府宛ての’‘G7 Impact Taskforce 2021”の答申書でも紹介されている。