バス転換した岩泉線と
廃線議論を覆した只見線

 実際、8月11日付河北新報電子版は、橋梁流失という甚大な被害を受けた磐越西線・米坂線沿線に復旧を不安視する声があると伝えている。BRT化された日田彦山線(田川後藤寺~夜明間)の被災前(2016年度)の輸送密度は299人/日で、米坂線とほぼ等しい。貨物列車の迂回ルートとしての実績がある磐越西線と比べると、米坂線の復旧のハードルはなおさら高く感じてくる。

 JR東日本は2012年に、土砂崩れによる脱線事故以降、2年にわたり全線で運休していた岩泉線を廃止してバス転換した前例がある。安全確保に少なくとも130億円の費用を要する一方、JR全社全路線中輸送密度が最も小さい46人/日(2009年度)であることから、鉄道としての復旧は断念せざるをえないというロジックであったが、それでも地元岩手県の反発は大きかった。

 反対に廃線の議論を覆したのが、2011年7月の新潟・福島豪雨で会津川口~只見間が被災した只見線である。同区間は被害が大きくJR東日本はバス転換を求めたが、福島県が存続を要望し、県が線路や駅舎などを保有してJRに貸し付ける上下分離方式での復旧が決定し、今年10月1日に11年ぶりに営業を再開する予定だ。約80億円の復旧費用は国と地元とJRが3分の1ずつ負担し、復旧後の維持管理費(年間約3億円)を県と沿線自治体が全額負担する。

 同区間の被災前(2010年度)の輸送密度は、岩泉線をわずかに上回る49人/日。運行本数は被災前と同じ1日3往復だ。それだけの負担をのまねば廃線を覆せなかったと見るか、負担さえ受け入れれば超過疎路線でも存続できると見るかは難しいところだが、今後ローカル線のあり方が議論される中で、重要な前例となるのは間違いない。