日本のいじめ問題が
まったく改善しない理由

 山形マット死事件や大津市中2いじめ自殺事件、そして旭川のいじめ自殺…いじめによる悲痛な報道は後を絶たないが、ここ十数年、日本のいじめ問題はまったく進歩を見せていない。

「大々的に報道され教育現場の問題が一時的に糾弾されても、その体質はなかなか変わりません。その原因の一つは、先生の多忙感。実際に教師と話していても、いじめに対応する時間がない、という声は多いですね。時間がないから後回しになってしまう。きちんと対応している教師がいる一方で、忙しいからいじめは後回しという先生にあうと、『だったらなんで教師になったの?』と私は思ってしまいます。教師の心のゆとりは、こどもの笑顔に繋がると信じているので、多忙化をなんとかしないといけないと思っています」

 最近はSNSやネットによりいじめはさらに多様化、複雑化している。一元的な見方では、いじめ問題は一向に解決しないだろう。

「教育現場でマモレポの話をすると、『すべての子どもが使うものじゃないからね』なんて言い方をされることもあります。現場の教師ですらいじめは限られた人のなかでしか起こらないと思っているんですね。だけど、いじめってそんなものじゃない。誰もがちょっとしたことをきっかけに、被害者、加害者になります。いじめは弱い人が強い人にいじめられる、という簡単な図式ではないんですね。

 同じグループ、同じカースト(*学校において自然発生する生徒間の固定的な序列をスクールカーストと呼ぶ)内でのいじめもあるし、ネットやライン上でだけ攻撃的な加害者もいる。旭川のいじめのように、写真や動画に撮って拡散する、というケースもあります。いじめではなく、犯罪として行為の悪質性がもっと問われるべきだと思います」

 複雑で表面化しにくくなっているいじめに対し、どのような対策を取るべきなのか。いじめは当たり前に起きるという前提で動かないと、いつまでも日本の教育現場は変わらないとくま氏は言う。

「いじめは子どもが複数人いれば、高い確率で起こります。いじめをなくそう、とするから、隠蔽(いんぺい)も起きる。人は仲間をつくりたくなる、自分と意見が合わない人を省きたくなる、気が合わない人がいるというのは当然のことです。『いじめをなくそう』ではなく、起こる前提でその感情は受け入れながらも、『こんな事やっていいんだっけ?』『これはやりすぎじゃない?』と『エスカレートしないためには、どうすればいいのか』を考えなければいけない。もっと積極的に授業でいじめのメカニズムを考える時間を作るなど、大人がいかにいじめをエスカレートさせず、食い止めるかが大事」

 そのためにも、いじめの厳罰化は、大きな抑止力につながるのではないかと期待を寄せる。

「6月13日にネットの誹謗(ひぼう)中傷が侮辱罪として厳罰化されたのは、一つの抑止力になるのかなと。もう一つ期待しているのは、自民党文部科学部会の「学校現場のいじめ撲滅プロジェクトチーム(PT)」が提出しているプログラムで、校長判断でいじめ加害者に学校の敷地に入らないよう命じることができるというもの。校長に判断を一任するという点は気になりますが、加害者への具体的な処分が明示されるのは大きな一歩だと思います。目を覆いたくなるようないじめを行う加害者には、加害者自身に何かしら問題があると考えます。厳罰化と共に加害者を作らないために何ができるのかを私たちは考えなければなりません」

 いじめ加害者への厳しい処分が、日本でも当たり前となる日は来るのだろうか。