麺の歴史は4000年前までさかのぼる

 私たちが峨廊庵で食べたのは、まさしくその「清湯蕎麦麺」なのだ。麺の故郷と自慢する山西省では、そば麺は、「上海の陽春麺」を持ち出さないと国民に理解してもらえず、日本の「一杯のかけそば」が海を渡れない。

 2002年、考古学者チームが中国の黄河上流に位置し「東洋のポンペイ」と呼ばれる喇家遺跡(らっかいせき)から、麺状の食べ物を発見した。この新石器時代の人類集落の遺跡は黄河の北岸側にあり、地震により、集落が一瞬にして水没したようだ。遺跡の現場で、伏せられた赤い陶器の碗が土に埋まっていたが、土を剥がすと、その中には麺状の食べ物が発見されたという。

 分析の結果、約4000年前のものと確認され、麺の成分も考古学者によってアワと黄米の混合物と特定された。器の内部は半真空状態になっていたため、現在まで残っていたと考えられる。こうして世界でもっとも古い麺類が発見され、世界の麺食文化の構図もこれによって大きく書き換えられた。これまで後漢までしかさかのぼることができなかった中国人の麺食の歴史を、一気に4000年前にまで前進させたのだ。

 麺食の歴史が長いというニュースはうれしいが、日中間の麺食に関する交流と研究には、まだ多くの課題と作業が残っている。日本のそば(麺)が歩んできた歴史と中国のそば栽培・食用文化との関係も、面白くて個性的な一つの課題ではないかと思う。

(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)