「オンライン」で情報伝達はできる。
しかし「共感」や「協調」は生まれない

 いかがですか? 在宅勤務、テレワーク、リモートワークなど耳に心地よく聞こえる新しい働き方、コロナ禍で広がった環境のなかで日々おこなわれているオンラインコミュニケーションは、「どうも物足りない」や「つまらない」どころの話ではない大問題だ、ということがお分かりでしょう。画面越しでは、自分の思いや感情や心を、相手にうまく伝えてくれません。コロナ禍で慌ててあれこれそろえたオンラインコミュニケーションのツールは、共感を生み協調関係を築くことに結びついていないのです。それでも私たちは、オンライン会議、オンライン打ち合わせ、オンライン交渉などで話し合いを重ね、ときに侃侃諤諤(かんかんがく)、喧喧囂囂(けんけんごうごう)もめたりしながら、全員が1つの結論に至り、みんな納得し同意したうえでオンライン機器のスイッチを切る、ということを現実にやっているわけですね。ですから、参加者たちが共感したり、心から分かりあったりはしていないはずなのに、なぜそのような結果になるのでしょう?

 これは、オンラインコミュニケーションでは最低限の情報伝達はできても、「感情を共感する」までには至っていない、ということです。オンラインでは、ある1つの結論に含まれるメリットやデメリットの「情報」や、それに対する各人の賛成や反対の「情報」は伝達できました。メリットのほうがデメリットより大きく、この結論しかないようだという「情報」も伝達でき、みんな納得して同意しました。しかし、情報の伝達だけに終わらず、相手の気持ちを理解し、おもんぱかってより円滑なコミュニケーションを進めたり、行き交う情報に自分自身の気持ちを付け加えることで理解を深めてもらったりすることが、非常にやりづらいのです。

 その結果、雑多な情報を1つの情報――結論に集約できても、そこに「共感」は生まれず、「協調」や「協力」関係もうまくつくれません。以上のことが、「満場一致で提案可決」と書かれた会議の議事録から、まったくうかがえないことは、言うまでもありません。

 こうしたオンラインコミュニケーションが、私たちの日常で多用され続ければ、「オンラインで人とさかんに関わっている。にもかかわらず、どんどん孤独になっていく」という、なんとも矛盾した恐ろしいことが起こってくるのではないか、と私は推測しています。オンラインが拡大すればするほど孤立が進んでしまう状況が、企業でも学校でも目立ってくることを恐れているのです。