最大の難所だった
宇治川橋梁の増設工事

 さて、そんな壮大な改良工事はさまざまな困難を乗り越えながら進んできた。人々の生活を支える鉄道は、工事のために運休するとしても半日から1日が限度なので、列車を運行しながら工事を進める必要がある。

 単線の線路は用地の中央を走っていることが多く、線路が上下線に分かれている駅から真っすぐ線路を伸ばすことができない。そこで一度、仮の線路を隣に設置して切り替えた後、元々あった線路を撤去して複線の位置に再設置。そこに切り替えてから、もうひとつの線路を造る。長い時間がかかるのだ。

 複線化のネックとなるのが用地の確保だ。奈良線についてはほぼ複線化が可能な用地を確保済みだったが、一部で不足するため用地を買収した箇所があるという。

 もうひとつの困難が沿線の理解だ。線路のすぐ隣には民家が並んでおり、昼間は新しい線路の工事、夜間は現在使っている線路の工事と、一日中工事が行われるため騒音や振動が問題になりがちだ。JR西日本大阪工事事務所京都工事所の尾谷和彦所長は「お叱りを受けることもあったが、沿線に複線化への期待は高く、理解を得ることができた」と語る。

 最大の難所だったのが宇治川を渡る黄檗~宇治間の宇治川橋梁の増設工事だ(冒頭写真)。宇治川橋梁は単線の橋梁なので、複線化に当たってはもうひとつの橋梁を設置する必要がある。だが、橋梁の建設は難しい。

 まずは川の水を遮断して河底を掘って橋脚を建設するのだが、事前に調査はするものの実際に掘ると「思いもよらないものが出てくる」(尾谷所長)という。河川における工事は6~10月の出水期には行えないため、工程がひとつ狂うと場合によっては半年近い遅れにつながってしまう。

 さらなるハードルもあった。宇治川というロケーション故に景観規制があり、橋の上に三角形の補強材を設置するトラス橋を選択できなかったので、橋脚の上に桁だけを乗せる構造の橋梁としなければならなかった。

 そこで河川のすぐ側で橋梁を組み立て、橋脚上にひとつずつ送り出す工法(送り出し工法)を採用することになったが、工事の基地となる場所に踏切があったのだ。そこで地元自治体が線路をくぐる新たな道路を建設し、踏切を撤去したのである。尾谷所長は「地元の協力がなければ、もっと困難な工事になっていた」と振り返る。

 鉄道は新線建設ばかりが注目されがちだが、営業線の改良工事は新線以上に困難な面が多く、容易には進まない。

 筆者の地元を走る東武野田線も長い単線区間を持ちながらも多数の列車が設定される「過密ダイヤ」の路線として知られる。野田線もかつては全線が単線だったが、1950年代から徐々に複線化工事を進め、半世紀近くをかけて複線化率を65%まで引き上げていった。奈良線は25年で同じ程度まで引き上げるのだから相当な苦労があったはずだ。

 来年春のダイヤ改正まで半年を切り、工事は佳境を迎えている。工事の安全を願いつつ、奈良線がどのように生まれ変わるのか期待したい。