羽田空港アクセスでも
JR東日本と京急がしのぎ

 本線に加えて羽田空港アクセスでもJR東日本と京急は顧客獲得合戦を繰り広げている。「20年前」の2002年、JRは東京モノレールを買収して羽田アクセスに参入すると、2013年には休止中の貨物線を活用した「羽田空港アクセス線」の整備構想を公表し、2021年に事業許可を取得。2029年度の運行開始を予定している。

 対する京急空港線は元々、羽田空港の手前にある穴守稲荷の参詣客輸送を目的とする穴守線として「120年前」の1902年に開業した。池上電気鉄道が池上本門寺の参詣客を当て込んで建設された路線であるように、京急自体が川崎駅と川崎大師を結ぶ路線として始まっており、穴守線にしても同様であった。

 羽田空港は1931年、日本初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」として開業した。戦後、進駐した米軍に接収されるが、「70年前」の1952年に施設の大部分が返還され「東京国際空港」に改称された。

 京急は1956年に最初の羽田空港駅を開業しているが、実際には空港から距離のある1ホーム1線路の形ばかりの駅であった。一時期は品川からの直通列車が設定され、駅前から空港連絡バスが走ったが、航空機が高嶺の花だった時代にわざわざこのような面倒なルートを選択する人はほとんどいなかった。

 穴守線は1963年に空港線に改称したが、空港アクセス路線としての機能は翌1964年に開業した東京モノレールが担うことになり、空港線とは名ばかりの時代が長く続くことになる。

 ところが1980年代に入って、羽田空港の沖合移転、拡張が決定すると、航空機の増便に対応できる輸送力を確保するため、京急空港線のターミナルビル乗り入れが決定する。それまでの空港線は3両編成、最高速度時速60キロの旧態依然としたローカル線だったが、1993年に東京モノレールとの乗換駅として羽田駅(現天空橋駅)を開業し、本線から6両編成(翌年8両化)の直通運転を開始した。

 そして1998年にはターミナルビル直下に延伸し、新たな羽田空港駅を開業するとともに最高速度を時速90キロに引き上げ(後に時速110キロまで引き上げ)、浅草線内急行運転を行う「エアポート快特」もデビューした。

 当時の京急蒲田駅は非常に小さく、また平面交差が避けられない構造だったが、持ち前の曲芸的ダイヤで品川・横浜方面からの直通列車が多数設定されていた。こうした事態を改善すべく、駅の高架化と大改良工事が2001年に始まり、「10年前」の2012年に完成。現在の運行形態となった。