2つの蒲田駅がつながり
競争はさらに激化へ

 今後のJRと京急の競争に影響を及ぼしそうなのが、こちらも切り良くちょうど「40年前」、1982年に大田区基本構想で示された「蒲蒲線(かまかません)」構想だ。

 大田区を縦断する二大幹線のうち京浜東北線蒲田駅には東急池上線と東急多摩川線が、京急線京急蒲田駅には京急空港線が接続しているが、両駅は約800メートル離れているため鉄道による東西移動が分断されている問題を抱えていた。

 そこに前述の羽田空港の沖合移転が浮上したため、東急目蒲線(現東急多摩川線)蒲田駅を地下化し、そのまま京急蒲田駅の地下を経由して空港線に接続して直通運転を行うことで、大田区の東西アクセスと空港アクセスを改善しようという構想が浮上したのだ。そのため大田区はこの構想を正式には「新空港線」と呼んでいる。

 ただ東急と京急は線路の幅や車体の規格が異なるためトンネルをつないでもそのままでは直通できない。そこで2つの幅の異なる線路を設ける「三線軌条」や、線路に合わせて車輪の幅を変えられる「フリーゲージトレイン」など、さまざまな案が検討されたが、いずれも課題が解決できなかった。

 このままでは看板倒れに終わってしまうとして、大田区は東急線と京急線の直通運転は棚上げし、東急多摩川線を地下化して京急蒲田駅まで延伸することで、蒲田駅と京急蒲田駅の接続を優先しようと考えた。そして今年6月、大田区は蒲蒲線の整備スキームや費用負担について東京都と合意し、2030年代後半の開業に向けて動き出すことが正式に決まったのである。

 京急蒲田駅での乗り換えを要するものの、大田区は東西鉄道ネットワークが実現し、東急は沿線の羽田空港アクセスが向上する。そして京急としては面倒ばかりで実利の少ない直通運転を避けつつ、東急線沿線からの利用者増を期待できるという、三方良しの解決策というわけだ。

 それがもくろみ通りにいくかは分からない。だが、それが良い方に転がるにせよ、悪い方に転がるにせよ、蒲田はいつの時代も鉄道と東京の関係を体現する街であり続けるのだろう。