痛む右足首をかばうあまり、筋肉系の故障を繰り返していた2018年6月に手術を受けた。横浜F・マリノスからジュビロ磐田へ移籍して2シーズン目を迎え、40歳になろうとしていた当時の俊輔は、脳裏に「引退」の二文字が思い浮かぶようになったという。

「これだけ長くやっていると、いろいろな選手がやめていくのを見てきたからね。決してネガティブな意味ではないけど、それでも40歳ぐらいで右足首が痛くなってきてからは、いつでもやめられるという気持ちを持ちながら。もう死ぬ気でというか、もっと覚悟を持ってやってきた」

 横浜FCが最下位でJ2へ降格した昨シーズンのちょうどいま頃。出場12試合、プレー時間わずか249分、しかも無得点に終わった俊輔は夫人に引退を打ち明けている。

 しかし、返ってきた「何で勝手に決めるの」という叱責に近い言葉と、横浜FCのフロントの「まだまだクラブに必要だ」というエールを受けて翻意。1年延ばした経緯があった。

 代名詞だった背番号「10」を志願して若い世代へ託し、横浜マリノス(当時)に加入した97年に背負った「25」に変えた今シーズン。6月までわずか4試合、すべて交代出場で29分のプレー時間にとどまっていた俊輔は、再び右足首の手術を受けた。

「手術してもらった先生には『2、3カ月はかかる』と言われたけど、手術する前はまったく動けなかった。判断は難しかったけど、やってよかった。手術していなかったらピッチに立てなかったので」

 前節のツエーゲン金沢戦の後半28分から、10代の頃から慣れ親しんできた横浜FCのホーム、ニッパツ三ツ沢球技場のピッチに立った。そして、昨年4月7日のサンフレッチェ広島戦以来となる先発を果たした熊本との最終節では、敵地に2万1508人もの大観衆が集まった。

 今シーズンの熊本の観客数は5472人が最多だった。しかし、18日にクラブから正式発表された俊輔の現役引退に触発されたのか。試合前日に全席が完売した一戦には、最後の雄志を目に焼きつけたいと望むファン、サポーターが全国から熊本の地に集まってきた。

 キャプテンのFW長谷川竜也の計らいで、左腕にピンク色の腕章を巻いて臨んだ熊本戦。俊輔は後半15分にFW伊藤翔との交代を告げられた。横浜FCを率いる四方田修平監督をして「断腸の思い」と言わしめた采配とともに、26年間のキャリアに終止符が打たれた。

 敵味方の垣根を越えた万雷の拍手が降り注ぐなか、チームメイトたちとハグをしてベンチへ戻った俊輔へ試合後、こんな質問が飛んだ。目指してきた理想にどのぐらい近づけたのか、と。

「理想といっても目標を一つクリアすれば、また次を立ててきたからね」

 こう切り出した俊輔は、10代からの記憶をたどりながら、サッカー人生を振り返り始めた。